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じたばた

46 IMAI

 49歳で離婚した。
一人で生きていくことになった私が、新しい地で選んだ仕事は「売る」仕事だった。決して自信があった訳ではないけれど、自分の事を棚卸して考えるとそれで行くしかないと思った。その3年くらい前、あるショッピングモールで婦人服販売のパートをしていたからその続きで「何とかなるだろう」という思いもあった。とにかく、何らかの仕事について食べていかなければならないと焦っていた。

 決まったのは、あるアパレルメーカーの百貨店の販売員。あえて「百貨店」を選んだのは、そのほうが箔がついて、次の仕事につなげていけるはず、と思ったからだ。
 けれど始めてみると何もかもが新しいことばかり。何が何だかわからないまま、動くことが怖くて怯えるような日々だった。

 半年が過ぎ、結果が出ないこともあって、私は次の百貨店に移ることになった。
「今度は個人売りもあって厳しいんだからね。大丈夫だろうね」と営業さんに念を押された。緊張で胃がきゅっと縮んだ感じがしたけれど、反面、「チャンスかもしれない」とも思った。
 もう一度最初からやり直せるかもしれない。百貨店という世界のルールもだいぶわかってきたのだから、今度はもっとうまくやれるに違いないと思った。

 そこで、頭に浮かんだのが堀口さんだった。

 堀口さんには以前にもコーチをお願いしたことがある。約1年前、まだ結婚生活を続けていたが、突然わかった夫の莫大な借金などで心が押しつぶされそうになっていた時だった。私を支え、前へ進むことを手伝ってくれる人が欲しいと思った。

 PCで必死に探してみたところ、コーチングという言葉が浮かんだ。更に検索を続けているうちに、堀口さんのHPやブログを見つけた。
私とは正反対でポジティブ、行動力の塊のような人だと感じた。とてもまぶしく見えた。こんな人に近づければきっと私も変われるはずだと思った。だから、堀口さんにお願いすることにした。
ずいぶん年下なことも気にならなかった。きっとその若さが、新しい、常識に縛られない発想で、私をサポートしてくれるに違いないと思った。

 
 コーチングのテーマは「精神的、経済的な自立」にした。私には、何かをやり遂げた、と確信を持てたことが全くなかった。販売の仕事を通して、「結果」というものを出したら、自分に自信が持てそうな気がした。だから、堀口さんには、そこをサポートしてほしかった。また、自立することで夫との関係を客観的に見ることができ、夫婦関係を含めたこれからの自分の人生を考えることができると思ったからだ。

 コーチングの3か月間は、店で何ができるか? アイデアを色々と考える場にし、実行していった。堀口さんのサバサバした口調や質問、フィードバック、それに何よりも「色々やってらっしゃいますね、頑張っていますね」という承認の言葉を聞いて、ずいぶんと力づけられた。少しずつ売り上げも上げることができた。
 経済的な自立には、まだほど遠いものだったけれど、自分にもやればできる力があるのだという自信につながった。堀口さんを選んだ自分を誇りに思った。

 その後、離婚をした。今度は一人で生きて行けるように、本当に自立しなくてはいけない。生活が懸かっているのだから。とにかく焦っていた。藁をもつかみたい気持ちだった。

 やはりこんな時は堀口さんしかない。迷わず2回目の90日コーチングをお願いした。
「今回もきっとうまくいくに違いない」と思ったし、「うまくやらなければならない」と力が入っていた。

 「こんにちは。お久しぶりです」
懐かしい堀口さんの声がスカイプで聞こえてくると、百人力を得たような気がした。
「もう一人じゃないんだ」
堀口さんの存在を身近に感じられて、ホッとした。嬉しかった。

 この1年、緊張や焦りから逃れられたことはなかった。毎日が孤独だった。
私は夢中になってあれから自分の身に起きたこと、離婚したこと、家も土地もなくなったこと、引っ越しのこと、仕事のことなどを、堀口さんに報告していた。
堀口さんはただ淡々と、驚きもせず、遮ることもせず私の話を聞いてくれた。
それだけでも心が落ち着くのを感じた。

 今回のテーマは、もちろん「売り上げを上げること」だった。もっともっと結果を出して、自分の自信を確固たるものにしたかった。
 
 新しい職場に配属されてから、さっそく客層を観察し、店長、ベテラン社員の方たちが、売り上げを上げるために何をしているのか、毎日分析をすることにした。
 気づいたことは全て堀口さんに報告した。堀口さんからは「よく観察されてますよね~」と承認をもらい、私はとても得意な気分になった。

 最初のコーチングセッションで、売り上げを上げるためには、とにかく接客回数を増やすということになった。「私は、接客を始めた頃、とにかく接客回数を多くしていましたね。回数を増やすことで、チャンスは増えますからね」と堀口さんが言っていた。自分を振り返ると、はじめから弱気な気がした。成功も失敗も含めそれが経験になって力になっていくのか、とイメージが付いた。

 360度目がついているのではないかと思えるほど、お客様の動きに敏感なベテランさん。その人たちに負けないようにきょろきょろして過ごし、店の前を通り過ぎる方にも積極的に声をかけていった。

 でもそんな毎日を送る中、「希望」だったものはだんだん「失望」となっていった。3人体制で他の2人が30万近く売り上げたにも関わらず私はゼロという日もあった。
 観察は続けていたし、いいと思える行動は真似をした。ハウツーものの本や雑誌も読んで勉強しているのに。まだまだ足りないのだろうかと不安になった。

 そんなある日、ベテランさんの一人に言われた。
「あなたはよく振られるから、わたしかもう一人の○○さんに、お客様を譲るようにして」
ショックだった。
その後、彼女は「やっぱり慣れることも必要だから悪かったわ。気にしないで」とその言葉を撤回してきた。だが、私は接客回数を増やすことが怖くなった。
 この店は私の練習のための店ではない。毎日決まった目標売り上げがあって、それをクリアしなければならないんだ。分かり切っているその事実が重く心にのしかかってきた。

 でも、動けない自分ではいけない。
目を背けるだけでは物事は前に進まない。諦めてはいけない。
 それでは今までのダメな自分と同じになってしまう。そう思って、なるべく深く考えず前向きに接客に取り組もうと思った。

 そんなある日、今度は別のベテランさんから、「あまりせっかちにお客様に向かっていかないで。お年寄りの方が多いのだから、あなたの接客だとおされて逃げていくわよ」と迷惑そうな顔で注意された。
 焦るあまり、ずかずか近づいていってまくしたてる雰囲気だったらしい。再び、ショックを受けた。頭が真っ白になって、これからどう頑張ればいいのか分からなくなった。

 優しくて親切なベテランさんたちにまで迷惑をかけてしまっているのかと思うと悲しく、申し訳ない気持ちでもいっぱいになった。私をこの店に異動させてくれた営業さんにも…。こんなに恵まれた状況にいるのに、私はちっともプラスの形にできていない…。

 売る仕事だけでなく、業務的な仕事でもうまくいかないことが多かった。
私は、元来のんびりで、テキパキと仕事をすることが苦手だ。何度も確認しないと心配になってしまう。
 それが体育会系でバリバリの店長をとてもイライラさせた。
「遅い!」
「だからぁ! ……」と、言われるたびに委縮した。
ますます緊張し、失敗したりぎこちない動きになっていった。

 自己評価は、どんどん下がっていた。
毎日の振返りとして、自主的に行っていた売り上げを記録することも、復習ノートを書くこともやめた。仕事を辞めようか、という考えが浮かんだ。

 堀口さんに、話を聞いてもらおうと数回愚痴メールをした。
堀口さんはその都度、「力が入っているようだから、力を抜いて、お客様にお買い物を楽しんでいただけたらそれでいいと思います」とか「自分を責めず、まっ、次頑張るか、で悪い方向には考えなくていいんですよ」などの返事をくれた。
 その時は一旦気持ちが安定し、もう少し続けてみようと思うものの、2,3日たつと又数字が出ないことで、気持ちが沈んだ。「辛い」「苦しい」と感じる日々に戻ってしまう。

やっぱり駄目なんだ。

 私は昔から、のろまで頭の回転も遅かった。何でも時間がかかって、要領が悪くて、真面目すぎて、臨機応変にできない。…と、次々と自分の嫌いに思っている面ばかりが、気になってしかたがなくなった。よく売れた日があっても、「たまたま運が良かっただけなんだ」と、すべてをネガティブに受けとめてしまった。

 そんな状態の中、コーチングは、進められていた。

 堀口さんからは、2回目のコーチングのときから「流れに身を任せてみたら」という言葉をかけられていた。
「教科書はもう体に入っているので、もう勉強しすぎなくても大丈夫。こっちが何か言わなくちゃ、って焦るよりも、買うのはお客様なんですから、お客様の様子をみながら、その場に任せたほうがいいですよ」と言うのだ。
「そうでしょうか…」と半信半疑の私に、堀口さんは「そういう時期になったってことです」とはっきり言い切った。そして、「もっとリラックスしてみたら」と提案された。

 何が何だかわからなかった。こんなに売り上げが悪くて悩んでるのに、困ってるのに、結果を出さなければならないのに、なぜリラックスなの?
もっともっと問題と向き合って必死にならなきゃならないんじゃないの? リラックスなんて甘すぎるんじゃないの? 

 分からないまま、それでも真面目な私は言われる通りなるべくリラックスしてみるように努力してみた。

 休日には仕事から少し離れるようにした。アロマをたきながら、好きな音楽を聴いたり、ハウツーでない本を読んだり、散歩をしたり、DVDを見たり、自分の「好き」なことをするようにしてみた。

 不安を抱えながらのリラックスは100パーセントのリラックスには、ならなかったと思う。それでも今まで堀口さんに言われたことと、リラックスが徐々に結びついて来ていた。

 一生懸命まくしたててしまうのは自分に余裕がないから。もっと流れに身を任せることで相手のことがよく見えてくる。
 接客なのだからお客様が主役、自分の出方は相手を見て考える。少し抜いてみたほうがちょうどよくなる。こちらが落ち着いているほうが相手の気持ちを引き出しやすい。
 完璧を目指していかないでいい。お買い物を楽しんでもらえばいいのだから70%の提案ができればそれでいい。

堀口さんとセッションで話したことが頭の中で反復されていた。
それらは確かに、全部リラックスしていないとできないことだった。

 たまに、お客様がおまとめ買いをしてくださることもあった。でも、そんな時は、相手がたくさん買ってくれたことに、嬉しいけど悪いなと思ってしまう、変な気持ちが湧いてきた。相手の決断が大きいほど自分の影響が気になってしまうのだ。
沢山買って頂いた後は、疲れるし、あんなに買わせちゃったと責任を感じる。

「えーーーー! それって、自意識過剰じゃありませんか。(笑)」
「そうなんです。わかってるんですけどね」
セッションで話しながら「自分ができると疲れる」ことが浮き彫りになった。
堀口さんは言った。
「自分はやっぱりできない、と思っている方ががっかりしないで済むからでしょうか?」そう言われて思い出した。

 子供のころから、そうやって自分にダメ出しして生きてきた。
好奇心だけは強かったので、小学校の時には学級委員、児童会役員など上に立つこともやってみた。周りは「やっぱりね」と言ってくれた。そうすると嬉しいよりもほっとした。いつも、上のポジションにいるようでなければいけないのだと思った。
 だから反対に、できないことがあると、とても恥ずかしくて情けない気分になった。期待に副えなかった自分、「そんなことができない」自分にダメ出しをした。「できる」と思われるとプレッシャーだった。

 本来の私は、よく考えないと結論が出せない。片づけも苦手だった。運動能力も高くなかった。あれもこれも一度にこなすことができない不器用でのろまなタイプ。
もっと時間をかけて取り組みたい、いつもそう思いながら中途半端な状態で終わっていた。でも集団生活では時間やルールを守ることが求められているものだ。それに合わせなければならないから仕方ないんだと、諦めてきた。

 どうせ十分に出来ないのだからと、やりたいこともやらないことが多くなった。その方が楽だし、怖い期待もされなくなるし、自分もがっかりしなくなると思った。そうやって物事に真剣に向き合うことを避ける臆病者の私の生き方が出来上がった。

 そんな自分に100%満足しているわけではなかった。どこかで、これではだめだという思いもあった。私の中にある好奇心や向上心がそれで良し、と言ってくれなかったのだ。
 煮え切れない思いがあった。全力でやっていないのだから当たり前だと思った。なんとなく不機嫌なことが多かった。よく、「やればできるのにね」と言われた。そんな言葉に腹を立てた。自分では自分なりにやってると思っていたからだ。一方で、確かに手を抜いて楽をしているかもしれない自分を、見抜かれているような気もしていた。

 大人になって、社会に出る頃になると、それは後悔という気持ちでやってきた。
時代はバブルに向かう絶頂期。女性がどんどん重要なポストに就くようになっていた。
自立して自分の意見を持ち、自分の決断で動き、自分で豊かな生活を手にしているように見える彼女たちに憧れた。行動力があってバリバリ突き進んでいる人は格好良く見えた。

 自分とは全く違う輝いている人たち。
でもいつか私もそれをやってみたい。やればできるのかもしれない。
必死なって取り組めば…。でも、やれない。

 夫の借金問題が分かった頃、私の自分へのそんな悩みも最大になっていた。
複雑になってくる人間関係の中でも「どうせ」と自己否定しながら年を重ねていることでますます苦しくなっていた。カウンセラーやコミュニケーションのセミナーに頼っていたが、根本的な解決にはならないままいた。

 そこへ降ってわいたような人生最大のアクシデントが発生した。結局、家も土地もお金も一部の人間関係まで全て、今まで当たり前と思って手にしていたものをほとんど失った。

 私に離婚を決意させた理由は色々ある。けれどその時、それならずっと思っていた「自分で必死に頑張る」をやってみたいと思ったことも確かだった。もう失うものは無いのだから、今まで避けてきたけれど、いつも心に引っかかっていたことにチャレンジしたいと思ったのだ。

それで……、ジタバタした。
ジタバタしたかったのだ。
それは憧れ。
体当たりで仕事に、人生に向かっていきたかったのだ。
 
 その先には私を満足させてくれる何かが見えるはず、と思った。堀口さんの存在が私のその気持ちを支え、経験させてくれた。

 最後のセッションの直前、今までのことを振り返りながらぼんやりテレビを見ていた。
毎日の緊張から疲れた体や頭を休めてリラックスする休日だった。

 大阪市長になったばかりの橋下さんが、記者団に向かって怒鳴るように話していた。
「競争、競争」という言葉が耳についた。
「うんうん、頑張ってるね、橋下さん。言ってることはよくわかるよ。
でも…。すごいな、とは思うし、立派だな、とも思うけれど、なんか私には違和感あるなぁ。そんなに興奮して怖い顔をして必死になるの、もう、疲れちゃうんだもん。
だいたい私は昔から競争が嫌いだし、もっと平和にゆっくりのんびり、穏やかにして、いつもニコニコと…」

……。

「穏やか…… ゆっくり……?」

あっ!
そうか!
だから「リラックス」なんだ!
堀口さんの言う、「そういう時期になったんですよ」なんだ。

「必死」に頑張って、その後のリラックスでやっと見えてくるもの、それは、本来の私の姿、私の幸せの形だったんだ。

 がむしゃらに動き回り、必死に頑張ってみることをやってみたくてやってみた。
でも、それはいい結果を生まなかった。
心にはいつも不安と焦りと怒りでいっぱいだった。

何故か。
それは、本来の自分の姿ではなかったからだ。
違う自分になろうとすることで心が乱されて本来の力も発揮できてなかった。
かっこいい人をまねようと無理をし、苦しむことしかできなかった。
そこには光り輝くものなどなかった。

私は私でいくしかないんだ。
それが幸せなんだ。
やっとそこにたどり着いた。
憧れを経由して。

 リラックスで気づいた本当の自分をもっとかわいがろう。ずっと自分に否定されてばかりで自信が持てなかった自分、臆病者でのんびりで、そんな自分を認めてあげよう。

 そんな風に思うと、いいな、と思える人も変わってきた。
人になんと言われようと自分のペースで淡々と自分の毎日を作り満足している人が世の中にはいるのだということにも気づいた。

必ずしも人に合わせなくてもいい。
自分で自分の毎日を作っていけばそれが幸せになるのだ。
いいじゃない!
勇気が出た。

私が子供のころから本当に求めていたのはそれだったんだ。

 例えば、私の大好きなアメリカの絵本作家、ターシャ・チューダも山奥でほとんど自給自足のような生活を送るマイペースの見本みたいな人だ。
 彼女の「思うとおりに歩めばいいのよ」などの言葉の日めくりを、毎日見るたびに心は穏やかになる。まじめで、ユーモアがあって強くて優しい、そして自立した女性だ。 
彼女は時間をかけてゆっくりと毎日を楽しみ、自分の望む人生を手に入れている。決して走り回ったり忙しそうにして自分をアピールすることもない。
 そういえば堀口さんも、「私は人は気にならない。ナンバー1よりオンリー1と考えてます」と言っていたことを思い出した。

 
 素敵な人は、どんなタイプであれ、自分に素直で、自分を生かすことをしている。
だとしたら私のようなのんびりも、ゆっくり流されながら、細く長く自分なりの工夫をしてその過程を自分で眺め、楽しみながら行けばいい。
 これぞ、のんびり屋の幸せな人生だ。

 私はもう個人売りの記録で一喜一憂することも辞めることにした。
自分を追い込んで自分をすり減らしていくのは嫌だ。私はただ目の前のことを、お客様を喜ばせることを自分のやり方で精一杯楽しみながらこなしていくだけ。幸運にも私に与えられた良い仲間とともに。
 その結果はどうであれ、私がその時の私のベストを尽くしているのなら、それ以上にもそれ以下にもなれないはず。それを周りがどう判断するのかは、私がコントロールできることではない。それでもどうにかしなければならなくなれば、その時はその時に考えればいい。きっと違う居場所もあるはずだ。

 前回の堀口さんとのコーチングでは、「数字として結果を出す」ことに挑戦できてよかった。今回は売り上げのことから始まったものの、最後は「本来の自分」を考えることで終わった。
3か月、じわじわと、焦ったり不信に思ったりしながらも、「リラックスして」とか「ゆっくりしませんか」という言葉をきっかけに気づきを得ることができた。自分を受け入れていくことで、周りの意見も素直に取り入れられる。今に余裕を感じられるようになってくる。それが分かった。のんびりだって悪くない。

 バリバリタイプが、私にとって依然憧れの一つのタイプであることは確かだ。スピードがあってすぐに結果が出せる人は、資本主義社会の中で勝ち組と言われる。
でも私は一緒に戦うのではなくて少し離れたところで違う生き方をしていきたい。

 ちょうど海の中の魚に、死ぬまでずっと泳ぎ続ける回遊魚や川を上る鮭がいて、その一方でゆらゆら流されるように漂うくらげもいるように。批難や競争をし合うこともなく、お互いの生き方で共存する。こんな風に、どちらの価値観でも生きていける資本主義というものがあれば、みんな幸せになれるのにと思う。

 今私が思う勝ち組とは、自分の人生を楽しむ方法を自分で見つけて実行できる人。それには自分は何が好きで何に満足することができるのかを知っていることが必要だ。たとえば、それがのんびりゆっくり物事を運んだり考えたりすることで得られてもいいと思う。
 
 残りの人生を無理せず自然体で、今を楽しむ毎日をテーマにほどよく生きていきたい。真面目で、実はとっても頑張り屋さんで、120%、130%の力を出してでも違う自分になろうと必死だった私。今から考えると何をやってたんだろうとコミカルで笑える。
 でもよく頑張ったよね。好奇心強いからね。お蔭で堀口さんとも出会えたよ。あぁ、人生って結構面白い。生きていくって色々あって楽しい。 

 ゆっくりした生き方。それは必死で走り回るよりもエレガントで素敵じゃありませんか。
そう気づいたら、ベテラン販売員さんから「明るくなったね、良かった。明るくないと売れないからね」と言われた私。必死過ぎて暗かったのね。(笑)

もう私、大丈夫だ!