54 SOLA
お昼ご飯を済ませると、午後の生徒たちが来る準備をはじめる。部屋を整え、音符やリズムのカードを用意し、連絡事項などを確認する。
私は自宅でピアノを教えている。音楽大学で学んだ後、地元に戻って教室を開いた。看板と口コミでだんだんと広めていただき、幼稚園に通う子から、還暦を過ぎた方まで幅広い年代の方に来ていただいている。
教えることで学ぶことも多く、おもしろさを感じてはいるのだが、毎日のように、レッスンが始まる前になると、なんともいえない不安な気持ちになる。
人間だから当たり前だが、皆、毎週来るたびに様子が違う。とくに年齢の低い子は、一生懸命ピアノに向かう日もあれば、なんとか1、2回弾かせることが、やっとのような日もある。
実際レッスンを始めてしまえばそうでもないのだが、「今日はどんな様子だろうか」「きちんとレッスンできるだろうか」と待っている間は、色々な心配が浮かんでくる。
保護者の方たちとのコミュニケーションのとり方にも不安があった。自分よりも年上の方との話し方、必要なことや協力の伝え方。気持ち良く聞いてもらえたのか、あの表情には何か意味があったのだろうかと、次のレッスンになるまで何日も考えたりする。
自分が教えを受けている先生や同業の方に相談し、アドヴァイスをもらうと、そのときは「これでうまくいく、大丈夫だ」という気持ちになる。だが、何かまたレッスンで引っかかることがあると、たちまち自信がもてなくなってしまう。
夫には、人との付き合い方などは相談できても、教えることについての不安は相談しづらいところがあった。
代々夫婦で切り盛りしているお店の跡取りである夫は、私がピアノを演奏したり教えたりすることに理解を示してくれてはいるが、本当は店の手伝いをしてほしい気持ちもある。
結婚をするときに、「ピアノは絶対に続ける」と言い、了解してもらっているので、あまり弱音は吐けない。
自分はピアノを教える仕事に向いているのだろうか。
何か良い指導法はないだろうかとセミナーを受講したりしているなかで、コーチングという言葉を知った。講師が、ピアノを教えながらコーチの資格を取り、レッスンにコーチングを取り入れている方で、よくある教材の使い方などとは全く違う内容の話だった。
コーチングに興味を持った私は、帰宅後すぐにインターネットで調べ、いくつかのホームページを見ているうちに、堀口コーチのホームページに行き当たった。
惹かれるところがあり、用があるときしかパソコンを立ち上げていなかった私が、毎日ブログをチェックするようになった。
コーチングを受けたいと、ブログを見始めた頃から思っていた。しかし、何かを決めるまでに時間のかかる私は、まずは金額のこと、それに実際に受けたところでこんな私が変われるのだろうか、と迷っていた。
1年ほどして、節目となる30歳になるタイミングで、ようやく堀口コーチのセミナー、そして90日コーチングに申し込みをした。
電話でのセッション。私はどのように話をしたらいいのか、そもそも自分が悩んでいるようなことなど話していいのかよくわからず、とても緊張していた。
話し始めてみると、緊張が解けたとまではいかないが、今まで誰かと会話などをする感じとは違った。私自身の気持ちを、何の色もつけずにそのままを聞いてくれる感じ。
「自分が教える仕事に向いているのか心配なんです」と話したら、堀口コーチから「でもすでに6年続けてらっしゃるんですよね。私が独立してからより長いですよ」と明るく言われた。自分では、まだまだ年数が浅いと思っていたのに。そして気づいた。
今の仕事に向いているかどうかと悩んでいるけど、やめようと考えたことはない。むしろできるだけ長く、ピアノを弾き、教えることを続けていきたいと思っている。
性格などが向いている、向いていないはあるかもしれないが、自分がやりたいと思っていることをしているのだから、この仕事をさらに長く続けていけるようにしよう。
自分の中で、もやもやとしていたものが、すっきりと整っていくようだった。
幼児のレッスンの前に不安な気持ちになることが多いことをテーマとして取り上げた。
生徒の気持ちの入り方が日によってかなり違うことに戸惑い、レッスンの前にいつもどう対処すればいいかと不安になっていた。
コーチングセッションでは、1つ1つのレッスンを振返りながら、質問をされて答えていくうちに、自分が自然と上手くいくパターンも、既に持っていることに気づけた。
生徒のテンションが低いときは得意なことをさせたり、よく弾けたときを思い出させたりするアプローチが見えてきた。
また、必要なことは教えているが、「どうなりたい」「どう弾けるようになりたいか」という目標があいまいだと気づいた。
それに関しては、事前に、生徒一人一人に対して、私自身がまず近い目標と遠い目標を立て、生徒に目指すところを知ってもらい、一緒に目指すようにする、という答えが導き出された。
自分のなかにレッスンへの心構えができてきて、不安が減っていった。
すると、今まで見えていなかった生徒たちの様子や変化に気づくようになってきた。
不安が減り自分の心にゆとりができたからだろうか。できないことがあったときには、「弾けない原因は何だろう」「この子には今何が必要かな」と考えるようになった。
セッションでは、堀口コーチの質問によって、自分が感じた違和感の原因を探り、どうしたら良い方向へ行くかを考えさせてもらう。
そして、実行すると必ず変化があった。
前進すると、つぎの課題も見えてくる。
自分がピアノを通して世の中にどう貢献したいのか? というテーマにしたことがあった。
とても漠然としていたが、ピアノの楽しさを「教える」よりも「伝える」のほうが私にはしっくりくることだと、堀口コーチからの問いかけで気づくことができた。
技術的なことを教えていくだけでなく、音楽の楽しさを伝えて、表現できる喜びを味わってほしい。音楽は演奏する人にも聞く人にも心に働きかけるものがあると思うから。
会話や意見を言うことの苦手意識をテーマにしたセッションでは、話す・聞く、のチャンネルを持ち、会話によって切り替える、など自分では考えたことのなかった方法を知った。
まずは身近な夫や家族との会話で試してみたら、夫から「実践してるね」とフィードバックを受けた。次第にレッスン中や人と集まったときの会話で変に緊張しなくなってきた。
実家でもピアノのレッスンをしているので、週に何度か母と会う。
私が大人になってからは、どちらかというと私が母の話を聞くことが多くなった。
母が落ち込んだことや、納得できないことなどを聞いていると、私もしんどくなってしまう。でも、とにかく話を聞くときだ、と気持ちを切り替えて最後まで聞いてあげられるようになった。
聞いてもらうことですっきりしたような母に、少しずつコーチングで得た気づきを話すようになった。
初めのうち母は、「ふうん……」とあまり関心がないようだったが。
堀口コーチとのセッションのたびに、不安に感じていること、引きずってしまっている失敗したことを話した。
こんな風に自分の悩みやつらい気持ちを話すことは、今までほとんどなかった。
「できない」と悩む自分を人に見せるのはいやな気がしていたし、自分の気持ちを誰かに言っても「仕方ない」と思っているところもあった。
そう、自分の気持ちをあまり言わない、というのは子どもの頃からあった。
母は、感情の起伏が激しいほうで、当時若かったせいもあるだろうが、同居していた姑(私の父方の祖母)と、考え方や生活習慣の違いなどでよく対立していた。母のほうから腹をたてることが多いのだが、言い争いのあと、すぐには怒りは収まらない。
私と弟2人は腫れ物に触るような状態で過ごし、怒りが飛び火しないようおとなしくしていた。何かを言うときは怒りが収まったか様子を伺いながらだった。
自分の素直な気持ちを話しづらかったり、じっくり聞いてもらいたいことを、話すタイミングを逃したりした。
母が怒っていると、家中にピリピリした空気が漂う。それがいやで、なんとか和やかな空気になるよう、長女として家の手伝いを率先してやったり、生活の時間を守ったりした。
落ち着いているときの母の意見を聞けば、祖母との考え方の違いもわかる。ただ母は、たいてい感情的に怒りをぶつけるような言い方をし、「お義母さんには私の気持ちは全然伝わらない」「話をしても結局向こうの言いたいことにすりかえられてしまう」と言っていた。
私は母に「そんなにきつい言い方しなければ良いのに」と言いたかった。
祖母は気持ちの切り替えが早い人だったので、言い争いを引きずることはなかったが、理由もわからず怒られた、と思っていることもあったと思う。
そんな時は、「お母さんにはこういう考えがあったり、こんなふうに思ったりしているんだよ」と祖母には話したかった。
でも、いつも部屋のそばまで行って、ドアの前でうろうろしては、結局何も言えずにいた。
学校で友達と話をするときも、なんとなくいつも相手の様子をみながらだった。いつ話し始めようか、とか、こんなこと話して聞いてくれるだろうか、とか。そのうち話すタイミングを失ったり、自分の言いたいことがわからなくなって話せなくなってしまったりすることがよくあった。
「話せなかった」という気持ちだけが積もっていった。
誰にも言えないし聞いてもらえない、と思い溜め込んでいた、まだはっきり言葉になっていない気持ちや、まとまっていない考えが、心の中にばらばらにあった。
堀口コーチが聞いてくれることでだんだんと整理され、心の中がすっきりとしていった。まるで新鮮な空気に入れ替わっていくようだった。
心の中の言葉を紡ぎ出していくにつれ、周りの人たちとのコミュニケーションのとり方も徐々に良くなっていた。
母との会話にも負担がなくなってくると、自分は子どもの時、もっと母に認めてもらいたいと思っていたのではないかと気がついた。
学校の勉強や習い事で良い成績をとっても、当然でしょ、という感じで、いつもより少し点数が低いときだけ注意された。
実際は違ったのかもしれないが、普段は注意されることの多い弟のほうが、頑張ったことや先生に褒められたとかの話題がでることが多いように感じていた。
「お母さんは、私がしていたことには、あまり声をかけてくれてなかったけど、私だっていつも頑張っていたんだよ」と話すと、一緒に聞いていた父が「そうだよな」と言ってくれた。少し母はとまどっているようだった。
その頃、実家の母も、環境が大きく変化する出来事があった。
同居していた祖母の介護と死だ。気丈だった祖母は、身体の変化があることを出さずにいて、介護といっても期間は2ヶ月ほどだった。
その2ヶ月の間、あんなに反発し合っていると思っていた母と祖母が1番心を通わせていた。
祖母が亡くなったあと母は、ずいぶんと穏やかになった。時折、祖母を思い出すと涙を流し、生きている間にもっとやさしい言葉をかけてあげれば良かった、もっと話をきいてあげれば良かったと話した。
そんな母の変化を嬉しく感じる一方で、少し、イライラするような気持ちが出てきた。
どうして私たちが子どものうちに、今のような気持ちになれなかったのか、いつも反発しあう2人が、どうにか、わかりあってほしいと心を悩ませていたのはなんだったのか。
コーチングを継続して1年ほど経った頃、堀口コーチのブログに過去の振り返りについて、よく書いてあった。そのテーマのブログを目にするたびに、心の中に抱いている罪悪感がわきあがってきて、なんともいたたまれない気持ちになった。
小学校低学年の頃に私がしてしまったことで、弟に謝りたいことがあった。「ごめんなさい」と言えなくて、ずっとしこりになっていた。
このことに、きちんと向き合うしかない。セッションで話すことにした。
話しながら、この後、コーチからどんなことを言われるかと胸がしめつけられるようだった。話を聞いた堀口コーチは「怖くて言えなくなってしまったんですね」と、言った。
そのときの私の様子をそのまま表す言葉だった。その言葉を聞いて、いまさらだけど弟に謝ろうと思った。
離れたところに暮らす弟に電話をし、そのときのことを話した。
「ごめんなさい」と謝った。22年も心にくすぶっていたこの言葉。弟は、「何のことか、覚えてないんだけど」と笑いながら返してきた。その声の感じに、心がふっと軽くなった。「とにかくごめんね」といいながら電話を切る。なんだかとてもありがたい気持ちだった。
お互いが小さい頃は、ゆったりした行動の弟を私が世話をしているような気持ちでいたが、年齢が上がるにつれて色々な話をするようになり、弟の鋭い洞察力や人との付き合いかたを見て、私のほうが学ぶようになった。
弟は、私の欠点もわかっている。こんな私でも兄弟として受け入れてくれている、そういう気持ちが湧いてきた。
過去の気になっていたことに向き合ってから、自分で自分の欠点を受け入れることができるようになった。してしまった失敗をいつまでも考えたりするところがあったが、改善の方法やより良くするために必要なことは、と次を考えるのがはやくなった。
セッションで過去を振り返るようになると、子供の頃の自分を思い出すようになっていた。
そんなとき、堀口コーチが、「小さい頃のSolaさんが、たまにお話に登場してくるようになったので、インナーチャイルドセラピーを受けるタイミングかもしれませんね。何かSolaちゃんが言いたいことがあるかもしれませんよ」と提案してきた。
そして、堀口コーチのクライアントでセラピストの康子さんを紹介してもらった。
インナーチャイルドセラピーについて、コーチのブログで取り上げられて以来、ずっと気になっていた。
セラピーを受ける直前、母との会話で久しぶりに私の感情が高ぶった。
子どものときや学生時代も、言えずに我慢していることが膨らみすぎて、時々涙があふれることがあった。自分の気持ちを上手く説明できずに、ただ泣くしかなかった。
決まって母は困った顔をし、「なんで泣くの」とそのうち怒り始めた。それがさらに私を悲しくさせた。
今は大人になり、コーチングで気持ちを言葉にしていることで、今になって、あの頃の自分の気持ちを説明することができた。
母は「気持ちまで聞いてあげられていなかったのね」と気づき、私の気持ちを知ってくれた。
セラピーのとき緊張のせいもあるのか、初めに浮かんだ子どもの頃のわたしのイメージが、上手くつかめなかった。
しかし、康子さんの柔らかい声にそのうち落ち着いてきて、もう少し年齢の低いわたしが出てきた。
小さい頃のわたしに向き合う。母や祖母に言いたいけど言えなかったこと。
友達に言われた言葉に関して、ショックだったけど、自分では気にしないようにふたをしてきたこと。
心の中にしまっていた気持ち。子どものわたしが今の私にそっと打ち明けてきた。
聞きながら、そうか、ただこうやって聞いてほしかったのだなと思った。良いとか悪いとか判断すること無しに、ただそのままの気持ちを聞いてもらう。それだけでこんなにも安心するんだ。
そして気づいた。誰よりも自分の言葉に耳を傾けてこなかったのは、私自身だったと。
自分の気持ちに向き合わず、自分の声を聞こうとしていなかったのは。この私だった。
セラピーの終わりに、対面した子どもの頃のわたしにプレゼントをあげることになった。
「solaちゃんに何が欲しい? って聞いてみてください」と康子さんが言った。
イメージの中のわたしに聞いてみると「かわいいワンピース」と答えた。
私は、ふっと思い浮かんだ白い襟のついた黒いワンピースを彼女に渡した。
康子さんは、「そのワンピースをどこかで目にするかもしれません」と言った。
話したいことがあっても、どうせ聞いてもらえないだろうと思うところがあって、自分の気持ちを言葉にしていなかった。
悩んだり違和感を覚えたりしたこともあいまいにしているところがあり、そのあいまいさが、より不安な気持ちを抱かせていたのだと気づいた。
セラピー後は時々、不安や違和感が出てくると、子どもの頃のわたしにそっと声をかける。
そして1人では見過ごしてしまう心の状態を一緒に探っていく。
セラピーを受けてすぐに、数人のピアノの先生と主催する、それぞれの教室で頑張っている生徒を出し合うコンサートがあった。
今回、私のところから参加する小学2年生の女の子は、二人兄弟のお姉さんで、勉強や習い事をいくつも頑張っている子だった。いつも聞き分けが良いのだが、あることをきっかけに我慢していることを素直に言えないところがあるのがわかった。
それからのレッスンでは我慢や無理をしすぎていないか気を配るようにしている。
コンサート当日、その子が着てきた黒いワンピース。見たときに息をのんだ。
それは、私がセラピーのなかで子どものわたしにプレゼントしたワンピースにそっくりだった。
生徒1人1人としっかり向き合い、心の言葉や、奏でる音にもっともっと耳を傾けていこうと決意を新たにさせてくれた。
なぜだろう、以前は、周りの人の言葉をいちいち気にしては、色々考えていたのが、今では素直に入るようにもなってきた。不思議とイライラしなくもなり、母の話にもおだやかな気持ちで耳を傾けられるようになった。
それはピアノの音を聴くことにも変化を与えはじめ、よく聴くこと、が実感できるようになってきた。今、どんな風に音楽があるのか、落ち着いてよく聴くことで、さらに良い演奏のために必要なことが聞こえてくる。生徒の演奏も自分の演奏ももっと良くなっていきそうだ。
ある日、実家に行き、父と母と私でご飯を食べているときだった。母は、最近見たあるテレビ番組の話をしたあとに私に言った。
「子どもの頃に色々させていたことは、あなたにとっては、辛いことだったかもしれないわね。もしそうだったなら、気づいてあげられなくて、ごめんね」
私はとても穏やかな気持ちでその言葉を受け取り、母に言った。
「ありがとう」と。
ああしなさい、こうしなさい、と言われるからやってきたことがたくさんあった。それで苦しくなったり、こちらの気持ちも聞いてよ、と思ったりすることもあった。でも母が一生懸命、試行錯誤しながら子育てしてくれたことは間違いない。
音楽が好きな母が私のピアノの練習に付き合ってくれたり、演奏するのを聴いて「良い曲だね」とか「とてもきれいな音で弾けていたよ」と言ってくれたりしたことが、今自分がピアノを続けていることに繋がっていると思う。
「ごめんね」の言葉はそっと心に入ってきて、子ども時代に作った心の壁が消えていく感じがした。
もしかすると昔さんざん悩んだ祖母と母の対立においても、「ごめんなさい」と相手に言ってあげてと、言いたかったのではないか。
対立の原因は様々で、いつもお互い自分の非は絶対認めなかった。でも、どちらが正しいとか正しくないとかではない。相手の気持ちを汲まずに何かしてしまったこと、それで怒らせてしまったことに対してお互いに「ごめんなさい」と。
「ごめんなさい」
自分の行動を反省し謝るだけでなく、相手の気持ちを思いやり、尊重する気持ちを伝えているのかもしれない。
私はたったこの一言が血のつながった兄弟にさえ、なかなか言えなかった。でもずっと言いたいと思っていた。この言葉を弟に伝えられて、私の心と身体は動き始めた。
母は、人付き合いを苦手としていたが、以前よりも色々な人たちと交流するようになった。その人たちは、今まで祖母が関係を築いてきた人たちだ。
「こうやって色々な人と関われるのは義母のお蔭」と、私に話す。母は祖母が亡くなった後、祖母にしてあげられなかったことを思い出し、空にいる祖母にごめんなさい、と言えたのだろうか。
コーチングを受けながら、自分がどんな気持ちでいるのか、何をしたいのか、自分で向き合うようになった。
堀口コーチは、たとえて言うなら透き通った泉のようだ。今よりももっと奥深い世界を見せてくれたり、光の当たり方や吹く風の動きによって変化する見え方を教えてくれたり、自分では気づいていなかったありのままのその人自身を映し出したりしてくれる。
映し出される自分の姿を見て、聞こえてくる言葉に耳を傾けながら、私は、これからも変化していくだろう。
このようにひとみずむを書いているなか、気づいた。
自分の気持ちや声に耳を傾けてこず、あいまいなままにして積もっていた不安で私の身体は蝕まれていた。
痛めつけられた身体はサインを発しているのに、私は今まで見て見ぬふりをしてきた。その自分自身にまだ言っていなかった。
ちゃんと言おう、わたしにも、「ごめんね」と。
そして「ごめんなさい」と言った後に湧き上がってくる気持ち。自分を見守ってくれている家族や周りの人、今の自分へとつながる人たち、これからつながっていく人たちへ、たくさん伝えていこう。「ありがとう」と。