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つながり

はじめに HORIGUCHI HITOMI

 「今何が見えますか?」
「海が見えます。港にいるようです」
「性別は?」「何歳くらいでどんな服を着ていますか?」
「女性です。20代かな? ふっくらしたロングスカートを履いています」
「何をしていますか?」
「大きな船が出港しています。好きな人が船に乗ってどこかへ行ってしまうようです」
「どこに住んでいますか?」
「海を見下ろせる丘の上です」
「何が見えますか?」
「私は子供を抱えて、玄関先から海の方を毎日みている。彼が帰ってくるのをずっと待っているみたいで。寂しそうな顔に見えます」
「何をすることが好きでしたか?」
「ガーデニングが好きだったのかな? お庭に薔薇が」
「最期のシーンへ行きます。何が見えますか?」
「たくさんの人たちが、私のうちに来ているのが見えます。一人だと思っていたけど、たくさんの人が周りにいたのかもしれない」

 2007年、コーチとして独立して2年目のころ、結果を気にする毎日で、気分が上がったり下がったりする落ち着かない日々を過ごしていた。
 メンターに「カウンセリングでも受けてみたら?」とアドバイスをもらった。
 すぐに電話カウンセリングを受けた。逆に、「今の話を聞いてどう思いましたか?」と、こちらから質問をした。私はちっとも病んでいなかった。

 この際、「ヒプノセラピー」も体験したくなって「前世療法」を受けてみることにした。
 子供のころから占いや見えない世界に少しは興味があったので、いよいよという感じだった。
 検索して、きれいな女性のサロンへ行った。先生とはその後、友達になった。

 ヒプノセラピーは、催眠と言っても、ほとんど意識があるまま、セラピストに質問されたときに浮かんだ映像について、ただ答えるようなやりとりだった。

 奇しくも、今の人生で海運業の人と付き合い、遠距離恋愛をしていたことがある。
 成田空港での見送りのシーンは、人生で一番涙が出た。そのシーンと、前世のシーンがかぶっているように思えた。
 そして、今住んでいる高層マンションからは、羽田空港からの離着陸の風景と、東京湾の船が見える。

 家に帰って、港が見えるところってどこだろうと、Google Earthを開いて、イメージしていた地形のところを適当にマウスで指してみた。
 クローズアップすると地名が出てきた。「ニース」だった。

 
 2011年1月、『ひとみずむ3』の原稿が、クライアントさんからなかなか上がってこず、やきもきしていた。私は、自分のペースに人を巻き込むことの方が、仕事ができる人間だ、くらいに思っていたので、皆が書きやすいように促した方がいいかと、メールを送ったりした。     
 それでも、なかなか上がってこない。段々、メールで促すことが、罪悪感になってきて、皆に謝罪のメールまでした。
 この待てない間に、クライアントのAtsukoさん(ひとみずむ18・38)からの提案で、自分のひとみずむを書くことや、『ひとみずむアワード』を企画することにした。
 そんな私に出版社のMさんは、「堀口さんは、待てませんからね」と言った。知り合ってからの4年間を総括して一言にまとめられた感じだ。あまりにも図星すぎて直したいと思った。

 友達と「私たち、せっかチーズだね」と茶化していたが、2011年の私は「せっかチーズ」を卒業し「待つこと」にした。友達から「この前結成したばかりなのに、もう卒業?」とメールが来たので、「卒業もせっかちだ(爆)」と返信した。

 
 2011年3月11日。私は、自分のコーチの播磨さんと一緒に、銀座の中央通りが見渡せるガラス張りのいつものカフェにいた。12日に行うセミナーの準備を行っていた。
 話が盛り上がってきたところで突然、大きな地震が起きた。カフェから20メートル先に見える10階建くらいの白いビルが、前後に揺れているのを見て恐怖を感じた。
 私たちは慌てて外に出て、揺れがおさまるのを銀座6丁目中央通りの真ん中で待った。

 東京は、ほとんどの交通機関がストップしたので、銀座から歩いて帰った。帰り道、建物の損傷などは、どこにも見当たらなかった。だから、明日のセミナーは、きっと大丈夫だろうと、とりあえず行うことにしていた。

 翌朝、午前10時、セミナー開場に到着した。
準備をしている段階で、余震が度重なり、折角大阪から足を運んで下さった方もいらしたのに、延期を告げた。
 3月13日の帝国ホテルでの『ひとみずむアワード』も中止を決定。ホテルに電話をして、5月頃に延期ということにした。
 なぜ、昨日の時点ですぐに判断が出来なかったのか。後から、お客様からお叱りの言葉を頂いた。本当に申し訳ないと思った。私に何かがこびりついている感じもした。

 
 『ひとみずむアワード』を行うはずだった3月13日は、自分の誕生日。
朝起きて、ベランダから空を見た。天気予報は晴れマークのようだが、空の色は果てしなく暗く見えた。その時、誕生日だが一人である事実に、寂しい感情がどっとこみあげた。
 TVでは、震災のニュースが流れている。寂しいと感じてはいけない気がした。

 震災をきっかけに、ブログ、ツイッターでの発言も困った。発信するときに、批判的と感じる意見が来ることを恐れていた。
 もし、そのような意見が来たら、内容はさておき、まずは、自分が悪かったと謝るようにしていた。
 心を落ち着けようと出版社のMさんに相談する。「堀口さん、色々言われるんですね」と話を聞いてもらいながら、表現方法を模索し続けていた。
 何か言われるかもしれないから、自分を消すようにした方がいいのだろうか、と変に遠慮するところから解放されたかった。ブログは、書いては消してを繰り返していた。
 自我を消すということは、自分の意見を言ってはいけないことなのかと真剣に考えた。無難と個性の境界線を知りたかった。
 色々考えた末、震災から1カ月後くらいから、周りの様子よりも少し早く通常通りの発言をした。いつも葛藤の最中だから思い切ったところもあった。

 その日の夜、「残念です」と、読者の人からメールを頂いた。まただ。
 まずは、そのような気持ちにさせてしまったことを謝り、自分の役割を考えて、少しでも通常通りの発言をしたいと考えていると返答した。
 それにしてもなぜ、読み手に残念な思いをさせてしまう発言になるのか? 自分の改善点をいつも考えているが、どうもうまくいかない。
 自分の役割について、そもそも考え出したのは、著名人のツイッターでの発言だった。
 「不謹慎」についてのおちまさとさんの記事を読み、ぶれない芯のある人はこういう人かと思った。芯のある人と何かが違う。なんだろう? 表現方法のヒントや、人からの反応に一喜一憂する自分を変えられるヒントがある気がした。

 『食べて、祈って、恋をして』という世界700万部の小説を読んだ。ニューヨークで作家として成功を果たしていた著者が離婚&失恋後、自分を立て直すために旅に出る本人の回想録だ。イタリアで食を楽しんで、インドで自分を見つめるために瞑想をし、そして、バリ島で運命の人に出会うという物語。
 世界的ベストセラーであるということは、自己啓発でなく、自己探求がこれから来る、と言うことだろう。
 人が望んでいることは、ビジネスの成功もそうだが、本質的には、心が平和になることではないか?
 インドで、自分の罪悪感に向き合うシーンが印象的だった。調和とかバランスという言葉が気になった。自分の強みを引き出すことはよく考えてきたが、もっと影の部分に向き合ってみるとか。そうするとバランスが整うのだろうか? 
 人から責められると感じているということは、自分の中で向き合っていない部分があるのではないかと思い始めた。いちいち一喜一憂しない芯を持てそうな予感がした。

 5月15日。震災の影響で延期していた『ひとみずむアワード』を、帝国ホテルで行った。
 『ひとみずむ』読者投票の発表は一番盛り上がった。ひとみずむ大賞は、44『別居夫婦』だった。離婚を前提にして別居し、話合いを避けていた旦那さんと向き合う決心をしたMayaさんの話だ。何度読んでも涙のでるストーリーだ。

 その日は、両親がいつものように参加していた。また、当日、体調不良のキャンセルが3人でたので、代わりに弟家族も参加した。父は相変わらず嬉しそうにビデオを撮っている。弟は、私の作詞した『ブーゲンビリア』を聞いて、号泣していたと後から聞いた。

 最後に、これまでのクライアントさんたちからのメッセージの書かれた動画が流れた。多くの方から感謝の言葉を頂いた。コツコツとやってきたことが、たくさんのメッセージに変わっていた。花束や天使の象を頂いた。感謝の気持ちがこみ上げた。 
 一つの成果として受け取るのと同時に、その成果の先にもっと導ける何かがあるような気がすると、次回への期待感も持てた。
『ひとみずむ4』は、全員の結末が同じ様なものになるのではないか? と仮説を立てた。

 会がクライマックスに差し掛かったとき、母が播磨さんに手をひっぱられ壇上へ連れてこられた。母は「どこの方もそうかと思うんですけどね。生まれてきてくれたときの感謝の気持ちを忘れない。ひとみちゃん、ありがとう」と言った。
 前に母から聞いた言葉だった。親がそんな気持ちでいてくれると、のびのびと生きていこうと思える。

 アワードは、2か月延期となり、準備を入念にできたことで、達成感があった。皆さんにも料理がおいしかったことや、本当に楽しかったと感想をいただき安心した。

 イギリス在住の友達が、赤ちゃんとイギリス人の旦那さんを連れて一時帰国していたので、久しぶりに会った。友達は、「奈良よかったよ」と言った。
 『奈良=祈る』とつながり、すぐに宿を予約。5月下旬に奈良ひとり旅へ行くことにした。

 奈良へ出発の朝は快晴だった。午前8時台の新幹線。京都から奈良へは近鉄で。
 平原に突然、朱色の門が現れた。電車の中では「あれ何?」と修学旅行生から歓声が上がっている。平城京が車窓から見えた。私の奈良旅行がスタートした気分になった。

 春日大社がいいと人から聞いたので、まずはそこから行こうと決めていた。
奈良公園を抜けると、春日大社の灯篭がたくさん見えてきた。フランス語もあたりから聞こえてくる。震災後2カ月半が経ち、外国人観光客も戻ってきているようだ。

 春日大社の入り口の手水場で手をすすぐ。考えてみると「手のすすぎ方」をちゃんと知ったことはあっただろうか? 左手をすすぎ、右手をすすぎ、今度は左手に水をためて口をすすぐ。一つ一つ動作を覚えるように行った。日本人だし、きちんと行いたいと思った。
 手水場から10分くらい砂利道を歩いて、本堂に着いた。本堂の入り口付近に「特別参拝」の案内が見えたので、折角だから入ることにした。

 順路を進むと、部屋のなかで神様に手紙を書く場所があった。気になって入った。
入口の案内に「日頃のお悩みを書いてください。後は神様にお委ね下さい」と書いてある。神様へは、お祈りや願いごとを書く方があり得ると思ったが、悩みごととは…。しかも、委ねるとは…。

 子供の頃の書道教室にあるような小さな机。あたりをちらりと見ると一人の女性が黙々と綴っている。私も書き始める。1行目を書いただけで、泣いている自分がいた。
 「仲のいい人がいつか離れるんじゃないかと思って、悲しくなります。どうすれば悲しくならずに済むのか教えてください」と書いた。恐怖心は少ない方だと思っていたので、驚いた。怖すぎて口に出せなかったのかもしれない。
 神様に向かって書こうとすると、自分に書くよりも悩みごとが引き出された。ぐったりした。

 どうすればいいかわからない恐怖心。神様に委ねるしかないという気持ちになってきて、春日大社でお守りを買った。今まで、お守りはいらないと思うタイプだった。神頼みしなくても自分で動けば、叶えられると思っていた。
 『食べて、祈って、恋をして』の主人公が「あんたはなんでも自分の計画通りにいかないと気にいらない」とインドで出会った人から言われていたことや、バスルームで、「どうしたらいいか、わからなくて、お願いだから教えて…」と神に祈ったセリフが自分と重なった。読んだ本と同じようなことが起こりだした。このまま進んじゃえ…。

 それから、東大寺を参拝し、近くの和食のお店に入った。春日大社の案内を読んでいると、さらに奥にも神社がいくつかあるとのこと。神様に本心を言ってしまった春日大社がものすごく気になった。昼食を取った後、また春日大社へ戻ることにした。

 春日大社の奥の方にある目当ての神社は、15時半までと書いてあり、ギリギリで間に合った。その神社は、和室にあがってお参りをするタイプのもの。サンダルを脱いで上がった。
「なんですか、その脱ぎ方は」と、突然、声がしてびっくりした。
その入り口のお守り売場に、わからなように座っていた50代くらいの女性に声をかけられた。
 自分の現状を見た。ただ左右を揃えて上がっただけ。一番きれいな脱ぎ方は、履物を端にそろえておくべきではなかろうか…。心にゆとりがない。急ぎ過ぎ。自分が情けなさすぎて、罪悪感がこみ上げてきた。

 「神様の居る所=自分の心」と急に頭によぎった。一つ思い当たることが浮かんだ。
私は、自分の気持ちに波が立つと、どこにこの気持ちを静めたらいいのかと、落ち着かない気分になって、人に相談に乗ってもらうことがよくあった。3年来の友達に、ある日、かなり落ち込んでいたので、励ましてもらったことがあった。翌日のメールに「疲れてしまいました。しばらく会うのは控えたいです」と書いてあった。友達の希望なら仕方がないと思ったので、受け入れた。それっきり会わなくなった。
 しかし、今思うと、自分のことで精いっぱいだった。もっと自分の心を自分で整理できたらよかったのか…と反省した。他にも、きっと人にそうやって負担をかけてしまったことがあったと、色々と思い始めた。

 それから、モヤモヤしはじめたら、なんでも思ったことからノートに書くようにした。自分が自分の声を聞いてあげることで、心が落ち着いた。恐怖心克服の兆しが見えた。
 

 東京に帰ってから、よく相談に乗っていただく出版社のMさんにメールをした。
「Mさんは、何でも聞いてくれるからと思い、気持ちの整理まで色々と相談を投げかけてしまっている自分について、直したいと思っていました。本当にごめんなさい」と。

 すると、「僕は相談というほどのものではありませんので、ご遠慮なく」と返事が来た。
 こんなに優しい男性に会ったことはない! 28歳とは思えぬ包容力に感動した。
 でもMさんは彼女いるらしいし…。記念に(?)Gmailのスター付きフォルダーに保管した。

 私は、仲が良くても3年くらい経つと、自分の過ちが原因で(それだけじゃないかもしれないが)友達関係が終わってしまうというパターンを繰り返していた。
 終わりは友達からで、友達にシャッターを閉められたと感じていた。シャッターを閉められたなら、仕方がないことだと思って、私の方もシャッター閉めるしかないと思った。しかし、離れていった友達は、尊敬するところがあり、好きな人たちばかりだった。だから、この問題をクリアするために、自分の何が悪かったのかを反省して前進した。
 でも、また同じことが起きる。最後に起きたのは、3年前。あの年は2回もそういうことが起きた。

 妹にその話をしたら、相手が閉めたからといって、私も閉めてしまうことに驚かれた。「私は、相手がシャッターを閉めても、こっちはシャッターを半開きくらいにしておくよ。そしてまた、どこかで会ったりする機会があったら、またシャッターを全開する」と…。
『なるほど!』。

 4年前、Mさんとある出版記念パーティーで、ばったり再会したとき、Mさんは、また縁をつなげるメールをくれた。一度、出版に関して話がまとまらなくて終了したので、もう終わりと信じ込んでしまっていた私は、メールを頂いたことが嬉しい半面、不思議にも思った。あのときすでに神様はヒントを下さっていたのに…。

 そうか! 私も何があっても「開けている人」でいればいいのだ。終わりという事象に対して、自分も閉めて自分で悲しくしていたことに気付いた。

 また、学びと捉え、相手とのコミュニケーションの仕方を改善しただけでは、問題は深いところで解決していなかった。自分が悪かったと反省を繰り返している自分には、自己否定があることにも気づいた。
 自分が悪かった、で物事を片づけようとすると、相手の思いを想像することもしなくなる。今振り返れば、自分も相手も未熟だったのだと、今になって自分を許せた。
 友達から「私の都合なので、あやまらないでください」とメールをもらったとき、「はっ」とした。とりあえず謝ろうという行為がいつしか癖になっていた。自分を余計に辛くしていた。そんな自分に気づかせるために、人から色々と言われ続けてきたのかもしれないとつながった。

 根本的な解決は、いつも私の中にある。信じていることが変わると、鏡のように、周囲も変化することが腑に落ちた。
 これからは、私の暖簾をただかけておこう。そう思うと何だか安心する。

 心がシャッターを開けたつもりになったら、昔のクライアントさんからのセッションの申し込みが急に増えて驚いた。「ゆうれいクライアントの松本です」という件名のメールが届いた。これには爆笑。とても嬉しく思った。
 

 6月、以前の部下に知らせたいことがあったのでメールした。その返事に「出雲大社へ行きました!」とあった。また、神社情報だ。
 私の家の前のマンションに住む、『ひとみずむ1』を書いたNANAさんにも、お知らせがてら「出雲大社行く?」とメールをしてみたら、「出雲大社へ行く人を探していたの!」という返信が来て驚いた。
 7月の彼女の誕生日に重なる形で、出雲大社へ行くことになった。

 出雲大社は、さすがに女性には人気があるようで、いつものネイリストさんから、出雲の近くの八重垣神社の恋占いの池を教えてもらった。彼女のお客さんが行ったそうだ。八重垣神社のお守りをお土産でもらった彼女は、2ヶ月後、恋人ができたと、その神社のパワーについて熱く語ってくれた。

 出雲へ行く前に、近況報告がてら知人のスピリチュアルカウンセラーのKさんの所へ行った。
 「出雲大社は、堀口さんの中の男性性と女性性との縁結びかもしれませんね」とKさんは言った。ここ1年は、どんどん新しい目標を立てて進むことを辞めて、ゆっくりと深めるように過ごしてきた。だから、人とのご縁を結ぶ以外に、「自分の中で結ぶ」という考えは、新鮮でありながら、もっともらしく聞こえた。

 私とNANAさんは、出雲へと飛行機で向かった。
 彼女は、2泊3日とは思えない、小さなカバンで驚いた。
「あたし、水着と一枚巻けるものがあればいいから」と。今を生きている感じがした。

 初日は、さっそく八重垣神社へ行った。タクシーの運転手さんは女性で、ガイドもしてくれた。
八重垣神社の恋占いの池は、メッセージが書かれている半紙をまず購入する。そのメッセージは、それぞれ違うものになっており、一番上に用意された半紙が、あなたへのメッセージということらしい。

 NANAさんの半紙には、「縁談は吉」。私の半紙には「願望達成する」と書かれていた。
恋占いの場所で、「達成する」という言葉は、なんだか、私らしいバランスで…。

 池に半紙を浮かべ、その上に100円玉をのせる。半紙が早めに池に沈むほど、ご縁がはやいらしい。風がなく池の水は一定だ。NANAさんの半紙が結構すぐに沈んだ。
 私の半紙にアメンボがのった。なかなか沈まない。アメンボがじわじわ半紙の上に水を誘導してくれているように見えた。10分弱かかりようやく沈んだ。願望はいずれ達成ということで。到達の方向に向いて、あとは委ねていれば、アメンボのような助けが現れるのかも…。アメンボさんの到来を待とう。

 翌日からレンタカーを借りることにした。私もNANAさんもペーパードライバーであったが、1日100キロくらい走った。私の久々の運転は、カーブがぎこちない。NANAさんが「はい、今出て」と指示を出してくれるので助かった。彼女は、運転がうまかった。セーラー服で自動車教習所へ通い、「君、運転したことあるの?」と教官に聞かれたらしい。

 お昼に出雲大社を参拝。人から頼まれたお守りや、縁結びのお守りを買った。
 そして、島根県の端っこにある美保関へと車を走らせた。海と山が見える島根県の風景を見てNANAさんは、「あたし、ここだったら住めるかも!」と言った。

 そんな、NANAさんとの最初のつながりを思い出していた。
『ひとみずむ』の“はじめに”として、NANAさんは、こんなことを書いていた。

==========
今回、「ひとみずむ」を書くにあたり、タイトルは「ひとみずむ①」っと、
あえて①をつけることにしました。今後、②③④⑤・・・と、
どんどん激変した方たちの「ひとみずむ」が後に続くはずですから・・・・。
==========

そして、本当に続いている。私はそれを読んで、つなげたいと思ったから。
そんな二人が、日本最大の縁結びの神様「出雲大社」へ来たのだ。
二人ともご縁を求めて…。変な感じがした。
自分たち、もともとご縁をつなげるタイプではありませんか?!

 最終日は、さらに車を走らせて、鳥取砂丘へ。
鳥取砂丘は、35度の猛暑だった。砂に太陽が反射してあまりにもまぶしいからサングラスを掛けた。なんだか左右のバランスが悪いような気がした。途中で、砂丘の頂上から見る日本海が美しすぎて、サングラスを外し、服に引っ掛けておいたら、知らぬ間に落として砂の中に消えてしまった。

 映画『めがね』のラストシーンを思い出した。主人公の「めがね」が風で飛ばされてしまい、一瞬「あっ」という顔をするが、何かが吹っ切れたようなあの一場面と重なった。

「ま、いいか。じゃあ、帰ろう!」

 翌日、新しいサングラスを買った。

 7月後半、毎日書いているブログについて、考えることにした。人や結果からの反応に一喜一憂しないように、自分の中での達成感や成長度合いを測れる指標が欲しいと思ったからだ。

 出版社のMさんに、人気ブロガーが、どのように記事を書いているか、幾つかおすすめを教えてもらった。どれも1記事の文字数が多く、ビジュアル的には読みにくそうなものばかりだった。一瞬、『こんなに書くの?』と嫌気がさした。
 いや、Mさんは提示しているだけで、別に私に何も言ってないですよ。

 ふと、店長時代に人気ブログランキング1位を獲得していた頃を思い出した。ちょっと悔しい気がした。でも、同じ自分だからできるはずだ。いや、むしろバージョンアップしている。

 考えている最中に、毎週読んでいるふかわりょうさんのメルマガが届いた。
彼のメルマガをコピペしてワードに貼ってみたら、1900文字あった。
 「ひとみちゃんは、浅漬け。ふかわは、ぬか漬け」と妹に言われたことがあり、気になっていた。「ぬか漬け」をやってみたかったのだ。どうすれば、ぬか漬けになれるか?

 『さあ、ひとみちゃん、やってみなさい』
 もう一人の自分がニヤリとしたのを感じた。
 ずっと避けていた苦行を実行する気になれた。

 そして、翌日からブログを毎日2000文字書きだした。3時間かけてでも、自分の言葉が出てくるまで、じっと待った。
 自分が見たこと感じたことだけが事実。そこに意識を向けたら、周りの反応は関係ない場所へ行った。ゆっくり時間をかければ、長く書けることに自分でも驚いた。
 これからも、自分を自分で育てて行こう。

 引き続き、自分の気持ちに向き合う日々を過ごしていた。ある瞬間にいつも「寂しい」感情がよく出てくることに気付いた。その感情は過去に何度も体験している。
「寂しい」のルーツはどこだったのか?
 「その感情と向き合おうと決めときが、癒すタイミングですから」とクライアントの康子さんが言っていたので、8月、康子さんのセラピーを受けることにした。

 「寂しいっていう気持ちは29歳くらいのところにある気がするんですけど」と私が言うと、康子さんは、「あのぉ、もっと小さい頃にあるのでそちらに行きます」と笑いながら言った。
そして、無意識の中にある子供の頃の記憶に働きかけた。

「何歳のひとみちゃんですか?」
「4歳かな」
「どこにいますか?」
「実家の2階で遊んでいます」
「声をかけてみてください」
「かけましたが、全然こちらを向いてくれません」
「そうですか。何かしてほしいことはあるか聞いてみてください」
「ん? 別になさそうです」
なんだか、子供の頃の自分に上手く話ができなかった。

「たまに、イメージの中で、ひとみちゃんに会いに行ってくださいね」
 セラピーの終わりにそう言われて、寝る前に数日、2階で遊んでいる「わたし」を思い浮かべた。
やっぱり、私のことは無視して遊んでいるようだ。
 そこで気づいた。「ただ、見守ってほしかっただけ」だと。そして、急に安心感が体をめぐり、自然と涙がこぼれた。

 私が、3歳の姪っ子と遊ぶとき、彼女のペースに合わせて「見守る」ことをいつも心がけていたのは、昔の私が親にしてほしかったことかもしれない。

 私にとって、セラピーとは、潜在意識の中にある過去の真実を再構築するきっかけになるものだった。こうなったら、真実はどうだったのか? 検証したくなるもの。

 「早くしなさい」と母はよく妹に言っていた。私は、メニューを決めるのも早いし、支度も早い。どちらかというと、考えることを放棄していた、という方が真実に近いかもしれない。妹は、相変わらずマイペースで、家族の行動をよく乱していた。
 セラピーによると、本来の私は、相当マイペースではないかという仮説。
母に思い当たる節はないかと聞いてみた。

 「あなた、なかなか算数ができなくて、『リンゴが3つあります、2つ食べるといくつ残るでしょう』と、机の上で、実際にリンゴ並べて問題を出しても、全然答えられなくて、ずっと黙っていたのよ。だから、分かってる? って、お尻を叩いたこともあるわ」
「え!!!! やっぱり。今は孫にたいして『慌てないでね』なんて、言っちゃってるけど、私のときは、『早くしなさい』だったわけだ。(笑)」
「ごめんなちゃい。私も未熟だったのよん」と母はおどけて言った。

 そんな真実、知らなかった。「人の悪口は言わない」は、家訓だったからだろうか。 
嫌なことを忘れるようにして、片方しか見えていなかった。楽観的なのも自分らしいが。
 母からの「ごめんなさい」は、あまり聞いたことがなかった。私も「ごめんなさい」と言うのは、つい最近まで苦手だった。
「ごめんなさい」と言って欲しかったわけではないが、「ごめんなさい」もあるものだなぁと思った。どっちもあって、人間だもの、なのだろう。

 その後、母と一緒にカフェでコーヒーを飲んでいた時のことだ。私のカップの中身を確認しないで「じゃあ、行きましょうか」と母は言った。『あ、これか』と真実が見えてしまった。
 今の私は、「あの、まだ飲んでいるんですけど」と突っ込んでいる。

 本来の自分が、ゆっくり考えたいタイプであったと気づくと、ゆっくりタイプのクライアントさんが結構いることにも気づいた。でも、そんな人に限って、焦っているんだな…。
 これからは、自分で自分を見守ることにしよう。

 
 9月の満月の日、通帳の記帳をしに行った。
 そのあと、天気もよかったので、お墓参りに行くことにした。
 墓前で「おじいちゃん、おばあちゃん、お金をどう使うか、一緒に考えてください」とお願いした。

 祖母のお葬式のことを今でも覚えている。15歳のときだった。多くの人たちが、仮設テントの下で、お寿司を食べたり、お酒を飲んだりして、お葬式というよりも、イベントのようなざわざわ感だった。町内中は、すごい数の花輪が並んでいた。驚きのあまり、親戚の子と一体いくつあるのかと数えた。

 祖母から聞いた話は「関東大震災の話」が印象に残っている。
 一緒に過ごした思い出は、たまの日曜日に、私、弟、妹とで祖母の部屋に行き、ミルクティーを入れてもらったこと。晴れた日の縁側はポカポカしていた。祖母は黒い鞄の中から、ライオネスコーヒーキャンディーを取り出して、毎回くれた。部屋は、書類がいっぱいで、片す時間もないのかな? と子供ながらに思っていた。
 家族旅行のときは、途中から新幹線でやってきて、夕食だけ食べて帰っていく。忙しい人だと母が言っていたが、少し遠慮しているようにも見えた。
 そして、最期のお別れで、私が思っていた以上に、祖母は多くの人に頼りにされていたのを目の当たりにした。
「私もおばあちゃんのように、世の中の役に立つ人になる」と自分と約束したのだった。

 翌朝、「ひとみちゃんの好きに使いなさい」と聞こえた気がした。
「そりゃそうだ」と突っ込んだ。相変わらず自分を自分で不自由にする癖がある。

 旅行かな…。神社づいているので、スピリチュアルスポットへ引き続き行くか、セドナとか、ハワイとか…、なんだかピンとこなかった。

「そもそも、一番行きたいところはどこ?」
答えはすぐに出た。「ニース」だ。

 前世療法で気になって、すでに南仏特集のガイドブックを3年前に購入していた。
しかし、リゾート系へのひとり旅は寂しいから迷っていた。今回、リタイアした母を誘うこともできた。だが、夏に読んだ『愛するということ』の本のフレーズも気になっていたので、「ひとりがいい」と自分の心が言ってきかなかった。

「1人でいられるようになることは、愛することができるようになるための必須条件である」by『愛するということ』エーリッヒ・フロム。

 旅行直前に妹から本を渡された。不慮の事故で亡くなった女性のブログ日記だ。
 日記なのに、小説のようで衝撃を受けた。その文章の印象は、ネガティブもポジティブも表現しており、感情にいい悪いをつけずに一直線上になっているように見えた。
 そのどっちでもいい感じが、ぶれない芯のような気がした。光と影が見える芸術作品のような美しさを感じた。

 旅行のテーマは、自分の中の喜怒哀楽につきあうひとり旅として、ありのままをブログで表現してみたいと好奇心が湧いた。

 
 10月19日 夜、ニース到着。
旅程は、ニース、モナコ、プロヴァンス、パリを巡る8泊10日のひとり旅。
すべての日が自由行動。バスの時間は、その時の流れ任せ。好きな場所があったら、好きなだけ佇んだり、好きなだけ写真を撮ったりした。

 前世とのリンクは何か見つかるのだろうか? デジャブはあるのだろうか? と少し期待した。確かに大きな船も見たし、海岸や周辺の丘陵地帯の風景は、前世療法で見たイメージと似ていた。それくらいだった。逆に色々気づきすぎても怖いものがあるが。

 ヴィルフランシュシュールメールの海は美しかった。こんなに穏やかな海は見たことがない。空の青と深海の青。一艘の客船を囲むように、白いヨットが何艘も停泊している。時が止まっているように見えた。まるで夢の中にいるようだった。
 毎日一人の夕食も、2時間半かけてゆっくりと味わった。エクスアンプロヴァンスのほわぁとした帆立が忘れられない。

 道に迷って、iPhoneの地図に散々怒っていたら、運が悪いことが起きてびっくりした。
でも、その後、赤毛でふわふわしている髪の小さな女の子が、メリーゴーランドにうれしそうに乗っているシーンに出会った。これまでは見逃していたような、ささやかな幸せをキャッチする力が高まったかのように。

 指定席にちゃんと座れなかったTGVも、自分の確認ミスのようだし、(言いたいことは色々あるが)個人主義のフランス人は「あんたがちゃんと見てないのがわるい」というスタンスで、車掌さんは「ここに座っていなさい」とだけ言った。車内アナウンスもないので、パリに本当につくかどうかも不安の中、デッキに3時間座るしかなかった。
 同じくデッキに座っていた目の前の女の子が、おもむろにギターを弾き始めた。

 いろんな気持ちになる自分が人間らしい。喜怒哀楽の感情に、いい悪いをつけずにいると、味わいが深くなる。小さな感動がみつかる。幸せに思う。
 そして、苦手なリゾートへのひとり旅だったが、病みつきになるかもしれない。

 
 12月31日、メルマガ読者へ届ける年賀状を作っていた。
4人に相談して、3週間も構成を練っていたのに、前日になっても、まだ納得いくものができていなかった。

 実家では、年越し蕎麦とてんぷらを作ってあるからと電話があったが、やることが終わらないので、行く気持ちになれなかった。相変わらず、協調性がないなぁと少し自分を責めた。

 そして思った。私らしい年越しだと。
マクドナルドの時も、アパレルの時も、年末年始関係なく働いていた。
渋谷で年越しラーメンをひとりで食べていたり、何やっているんだろう…。
一生懸命仕事をした達成感の脇に、毎年、後ろ髪引かれる思いがあった。

 その「思い」が大晦日にまたやってきた。もう何回目だろうか。
今回はひどく辛いようなものに感じた。ベッドに座ってじっと思いに耳を傾けた。
肩をすくめるようにして泣いている。

 時間をかけて、じっくり取り組みたかったようだ。
そして、「自分の納得いくまで、好きなだけ思う存分やりなさい」と自分に言った。

 結局、年をまたいで朝の4時まで粘ってもまだできず、一度寝て、朝10時にようやく出来上がった。

 
 今年も『ひとみずむ』がやってくる。
 『ひとみずむ4』について、播磨コーチと話していた。
 「僕は、短編より長編が好きなんですよね。つながり感のある『ひとみずむ』にしてみたらどう?」と提案があった。
「え? 短編なのに、長編みたいになっているってことですか?!」
播磨さんのとんでもない提案に挑戦してみたくなった。

 スピリチュアルカウンセラーのKさんにも相談してみたら、「堀口さんの『まごころ』でつなげばいいのではないですか?」と、またとんでもない提案を受けた。
「まごころですか?」
「全員の針の穴に堀口さんが糸を通すイメージで。糸を通したら、糸の結び目も分からなくなって、つながって、きれいに糸が円を作るのがイメージできますよ」
見えないものを感じるカウンセラーのKさんは、急にイメージが湧いてきたようで、私を置いて、興奮気味になっていた。

 家に帰った。
「糸」について考えていた。「糸、いと、意図…」
「あ!」
出雲大社で「縁結びの糸」(ホントに糸)を買ったけど、あげる人が見つからなくて、そのままに。

 その糸を人数分分割して、ひとみずむメンバーに郵送した。
果たして、その糸はきれいにつながって円になるのだろうか?

 「待つこと」に決めた2011年の集大成ってどんな風になるんだろう?
自分の答え合わせをするように、2012年1月4日、みんなから届いた、ひとみずむの原稿を開いた。