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記憶と真実

52 YUKARI

 この空、なんか好きだな!

 気持ちよい風を感じたくて歩いていたら、大空に引きつけられて公園のベンチに座った。柔らかい薄い雲と太陽が射した空を眺めながら、大きく深呼吸をした。風が一層冷たく感じられたが、体の力がふうっと抜けた。

 2011年の回想シーンが頭の中をぐるぐるし始めた。
 90日コーチングを一度も受けたことがないのに『ひとみずむ』を書くことも決まった。やってみたい仕事も決まった。心から望んでいたことが、一つ一つ叶っていく。

 心の奥深くに閉じ込めた蓋に気づいて、そっとあけてみたら、オセロの駒がパタパタと返っていくように、子供の頃の記憶が、愛されていた真実に変わっていった。

『あっ、私、愛されていたんだ…』と。

 
       
 2008年冬、結婚を機に仕事も辞め、東京から大阪に引越しをした。
 東北出身の私は関西でやっていけるのだろうか…、ボケ、ツッコミ、オチとか、笑いをとるのは絶対ムリ。正直行きたくないな…とずっと思っていて、引っ越す前から憂鬱だった。

 3か月が過ぎた頃、新しい生活や土地に慣れようとするあまり、焦りと戸惑いがでてきた。毎日聞こえてくる言葉も未だ慣れずに落ち着かない。

 販売の仕事が好きなのに辞めたため、人と話すことがめっきり減った生活にも苛立ちを感じていた。夢中になれることや打ち込むこともなくて、自分の中身が空っぽになったみたいだった。
 結婚生活は楽しいけれど、私はこれから何をしたいのだろう…。どういう自分の人生を生きていったらいいのだろう…。でも、前に進まなくちゃ…。

 しばらくしてアパレルショップのオープニングスタッフのパートを始めた。
 オープニングスタッフは、今までに二度経験していた。一から作り上げていくことが好きだった。だが、「パートさんはいいよ、売ることだけしてくれれば」と流されることが多かった。社員って店長しかいないじゃん…。私の外側だけを見られている気がして悔しかった。「パート」の立場の自分はいや。心残りがあるのでいつかまた、店長をやりたい…。

 不満がたまっていた頃、「カリスマ販売員」キーワードで堀口さんのブログと出会った。ちょうどコーチングもとても興味があったので、これだ! と思った。

 無料メールセミナーを読み、接客DVDも購入し、前向きになったり行動する気力がわいてきたり、不思議だった。
 ブログを毎日読んでいるうちに、堀口さんに会いたくなった。

 毎日がメッセージセミナーに申し込んだが、親戚の不幸があり、参加できなかった。
 代わりに、単発コーチングに振替をしていただいた。嬉しかった半面、不安の方が大きくてコーチングを受けることに動揺した。コーチングって目標達成とかビジネス的要素が強いのでは? 今の私で大丈夫? なかなか日程が決められなかった。

 単発コーチングの日は、心配をよそに晴れていた。
緊張して堀口さんに電話をした。「こんにちは~!」と堀口さんの声。不安を吹き飛ばしてしまうトーンは、話したいという気持ちを促した。

 堀口さんと話すことは初めてだったので、まずは挨拶代りにこんなやりとりをした。
「まだ関西に慣れなくて不安が色々あるのです」
「関西人だって同じ日本人だから心配ないですよ! あははー」
「言われてみればそうですね…」
私が気にしていたことは、大した問題じゃないかもしれない。気分がとても楽になって体が軽くなっていった。

 それから、パートだからと、店長から相手にしてもらえない悩みを話した。
「店長にそのままやっていることを言うと、やりとりが変わってくるかもしれませんよ。店長がパソコン業務ばかりしていたら、『パソコンやってますね』とか!」堀口さんはあっさり言った。
 プッ、面白い、ちょっとやってみよう。店長と逃げずに向き合いたいと思いつつどうしていいかわからなかったのだ。少しずつ関わりを深めていくやり方が分かってきた。

 初めてのコーチングは、話すことで頭や心がスッキリ軽くなっていって、楽しかった。自分の視野が広がった。コーチングってすごい! イメージがまるっきり変わった。

 コーチングが終わったあと、仕事に行った。
 店長がレイアウトで悩んでいて完全に思考が停止している。今がチャンスだ! 言ってみよう。
「固まってますね」
「そうなんだよ、こうしようかああしようか迷っちゃったんだけどどう思う?」
思いがけない言葉で私が一瞬固まった。今までなら一人で黙々やっていたのに。
「えっ…、こっちの方が奥にもお客様が流れそうなのでいいと思います」

 それから感じたことを伝えていく中で、少しずつ本音で話せるようになってきた。

 単発コーチングから一カ月後、店長に「yukariさん変わったね。お店の売上もついてくるようになって、一人じゃ何もできないから、みんなで頑張っていきましょう」と言われた。
 自分が変われば少しずつ変わるのかもしれない。辛い時や大変な時はいつも堀口さんの笑い声が聞こえてくる気がした。

 2009年8月、春コミアンコール「本当の会話」の告知を見つけた。
コミコレに行ってみたい! 本当の会話ができたら楽しそう。でも堀口さんのセミナーの中でコミコレはハードルが高い、やめようかな…。
 その時「アンコール」という言葉にひっかかって、初めての人も多いかも…と補欠組のような感覚になった。それなら行けそう!

 当日、隣には笑顔の優しい女性が座った。話をしてみると、私と彼女の家は徒歩圏内だった。彼女も大阪在住で東京のセミナー参加だった。なんという偶然。一気に緊張が溶けて笑顔が増えた。
 アンコールだが、常連さんもいて、発しているセリフが自分の口からは到底出てこないような深い言葉だった。

 「どう感じましたか?」とセミナー中に播磨さんに聞かれた。
 体が固まって、頭が真っ白になって言葉がでてこない。どうしよう…。人の意見を聞いて、共感したことを自分の言葉に変えて言うことしかできなかった。
 どうしたら自分らしい感想が言えるんだろう…。

 2010年3月、春コミ「話させ上手」ニュートラル。
 最後に一人一人感想を言っていった。ベテラン参加者の感想の中で「教えてもらおうとしている人がいるが、その姿勢が気に入らない」という感想があった。         
 「私だ…」図星だった。視線を落としたまま顔を上げられない。だが、これで逃げずに覚悟が決められるとどこかで思った。

 どうしたら感じられる、考えられる自分になれるのか分からない…。

 懇親会で播磨さんと二人で話す機会があった。セミナーで感じたことを伝えると、「どうしたらアウトプットできるか考えてみたら?」と言われた。
 お酒も入っているせいかよく分からない…。数分たってもうなりながら首をひねって眉間にしわを寄せていた。
 すると播磨さんは近くにいたテーブルの半分の人たちに「どうしたらyukariさんがアウトプットできるかみんなで考えてあげようよ!」と声をかけた。

 ひぇーーっ、マジで…。これから何がはじまるの??
みんなが真剣な眼差しで「小さい頃から言わないタイプ?」「ブログ書けば?」「思ったことを何でも話してみたら?」など色々と聞きながら意見を言ってくれた。
 でも「今すぐこれやります!」と思えずにいた。

 帰りの新幹線で思っていることを言えなくなるのはなぜだろう…? と考えていた。

 数日経った頃、思いだした。
小学校に入る頃、母親が心配そうに「あなたはそんなにわがままだと友達がいなくなるよ」と、言った。私は保育園から小学校に行ったため、入学当初、知っている友達が誰一人いなくてとても寂しかった。みんなより一回り大きかった私は圧迫感があったのかもしれない。ワイワイしている様子を遠目から眺めていて羨ましかった。
 私は外では笑顔で周りに合わせようと決めた。自分の意見を主張するとわがままと言われ嫌われる…。周りに合わせていた方が好かれる…。みんなに嫌われたくない…。自分の気持ちは我慢して見過ごして、言葉にすることはほとんどなかった。
 
 いろいろ考えて、自己表現を少しずつしていったら何かが変わるかもしれないと思った。
 発信することは自分には絶対できないと思っていたが、3月中にブログを始めようとやっと思えた。感じられる自分になりたいから始めた。今のわたしから一歩踏み出すきっかけになるためにも。旦那さんの転勤で東京に戻ることが決まったことも、自分の中でいい区切りになってスタートできた。

 アウトプットを意識するとインプットも変わってきた。自分の感情も一つ一つ追いかけてみた。イライラした時はどうしてイライラしたの? どんな気持ち? と問いかける。どこかで相手に期待して、それが叶わなくて悲しい気持ちだと思ったとか、なんでも書いてみることを続けた。

 2010年9月、秋コミ「仮説力」。
「お財布ワークをやりまーす! みなさん、お財布出してください」と堀口さんが言った。

 これから何がはじまるの…? お財布は普段あまり気にかけなくて整理もしていない。また「ここまでやるか!」と、あっけにとられた。
冬コミは大切な人へラブレターを書いてその場でホントに電話をかけるワークがあったっけ。夏コミは銀ブラが楽しかったな。
 今回はシャレにならないかも…。でもどことなく期待している自分がいた。

 「では隣の人にお財布を預けて、そこから持ち主はどんな人かを仮説を立ててもらいます」
「えーーーーっ!」ど会場がどよめいた。
私は今すぐ帰りたくなった。自分でもレシート他、何が入っているか把握していない。それを人に見せて自分がどんな人か想像してもらうなんて…。でも、向き合うことから逃げられないので、コミコレが好きなのかも…。

 私の隣の席のTさんは、数回お会いしたことがあったので少し安心した。
 そんな私を横目に急にそわそわ探し物を始めて「お財布忘れてきちゃいました…」と一言。
「じゃあ、Tさんだけ、お財布の代わりにバッグ全部見せてね」とあっさり言う堀口さんは楽しそうだった。私だったらバッグはお財布よりももっと論外だ。

 私はTさんのバッグをおそるおそる見始めた。何が入っているかざっと見たが、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。化粧ポーチと手帳をじっくり見る勇気がない。手帳はパラパラと見て、コンサートチケットや趣味に関するものがあったので、頭を巡らせた。化粧ポーチは結局開けられなかっ たが、Tさんのイメージを何となく伝えることはできた。

 次にTさんが私のお財布を見始めた。外観から中身はレシート1枚1枚丁寧に見始めた。レシートは何枚あっただろう…。スーパーのレシート、薬局、クリーニングのレシート。私の生活と性格がむき出しになっていく気分で恥ずかしかった。だが、その気持ちも通り越して腹をくくった。

「お札の向き、カードの向きがバラバラだったので大雑把な感じがして、こだわらないことは気にしないタイプだと思いました。レシートは家計簿にまとめて書くためにとってあるような気がしたので、細かいところもあるかも…」
Tさんは私の性格や生活について一つ一つ細かく想像して伝えてくれた。それだけ自分を真剣に見てくれた…。

 私はどうしてTさんのことをなんとなくしか見ようとしなかったのだろうか?
 しっかり見て相手に伝えたらもっと分かりあえるのに…。自分がすべてを見られたくないから相手のことも見ることができなかった? 自分の心の奥を見ることに怖さがあるが、相手の心に深く入るにはまず自分の心に深く入ることが必要なんだろうな…。

 懇親会で播磨さんに「相手に壁を感じるのは自分に深く入れないからかな? と思ったのです」と伝えると真面目な顔つきで「自分自身!」と落ち着いたトーンで返ってきた。その言葉が妙に心に入ってきて、自分に向き合う覚悟ができた。

 秋コミの感想を送ると、堀口さんから「自分に向き合うために、単発コーチングを受けませんか?」と返事を頂いた。すぐに申し込んだ。

 自分を可愛がる、今の自分でいいと受け入れることに焦点が当たった。

「『最近の多くの人は、文化を消費するばかりで、創造していない』って言葉を、目にしたんですよね。Yukariさん、創造してますか? 自分の内側から創造するもの。内側からのアウトプットは、自分の満足度が上がりますよ」と堀口さんが言った。

 今まで私がしてきたのは、音楽を聞く、本を読む、自然に癒されるなど「消費」ばかりで何かを創りだすことはしてこなかった。確かにトロンボーンをやっていた頃の自分は、今よりも「今の自分」に満足していた。

     
 その後、ゴスペルを始めた。仕事帰りに行くと、みんなで盛り上がることでストレス発散になった。また感情をこめて歌うことは、全身で表現している気分になった。
 帰りは景色が違って見えた。そんな自分、なんかいいな! と思えた。

 2010年11月から百貨店のショップで働き始めた。心からきちんと接客して心を磨きたかった。百貨店での経験がない私は、今までとは違うものであると自分にいい聞かせ、すべて新しいこととして吸収しようとしていた。

 慣れない百貨店での仕事ではミスを連発した。他人にも責められたし、「失敗する自分」を許せなくて、自分を責めてしまうことが、とても苦しかった。  
 怒られれば怒られるほど、もう無理だと反発が大きくなったり、怒られることで委縮してしまい、頭が真っ白になってミスをする。
 そんな時に「最近弛んでるので気をつけてください」と店長に指摘された。弛んでる…?
 どんどんマイナスなところにばかり目がいって、グルグルして気分が沈む。いつしか接客することが怖くなって楽しめない。自分じゃないみたい、自分らしくない…そんな違和感がいつもあった。

 この違和感、どこかで感じたことがある。いつだろう?
 高校生の教室にいる私を思い出したがモヤモヤしたままだ…。

 書き続けていたブログは幸せな日常を書くことがテーマだった。書いていると無理があり苦しくなる時があった。本心をそのまま出せなくて、どう見られたいかを気にして、いい感情ばかり書こうとしている…。
 思ったままのことをアウトプットしたくて、本音ブログを始めた。

 2011年3月、春コミ「苦手意識」。
 前日に東日本大震災があって、当日会場で延期のお知らせがあった。折角来たので、堀口さんたちとお茶をすることになった。

 堀口さんに近況報告すると「相手を理解するという次のステージに来ているのではないですか?」と言われた。
 次のステージ? 相手を理解すること? 少し困惑した。ただ理解する相手は店長だと直感で感じた。

 店長はいつも忙しそうなので挨拶だけはきちんとしようと思っていた。苦手意識も感じていた。結果や正しさを求めて厳しさが先にでるところや、部下の気持ちを聞くよりも自分が感じていること、望んでいることを伝えるところなど昔の自分に重なるところがあった。
 昔、私に部下がいた頃、ちょっと注意しただけなのに泣かれてしまうことがあったことを思い出した。厳しさや主張が先にでて、相手を理解しようとしなかった自分を、まだ許しきれていないことを感じた。

 相手の立場の気持ちを考えようと意識が向いた。
 店長はただただ一生懸命なだけで、悪気はないし、それが店長のやり方なだけなのだ、と色々な角度で見てみた。感じてみた。そして感じるほど自分自身も癒されていった。
 だが心は苦しいままだった。

 震災のあと、体調を崩して立ち仕事が辛いこともあって、5月いっぱいで辞めることに決めた。

 5月中旬に、延期されていた春コミ「苦手意識」が開催された。
 赤と青のグラデーションが流れているような紙に、払拭の意味のこめられたピンクの羽のペンで、こういう人は苦手、こういう人は好き、を書くワークがあった。

 ネガティブとポジティブが表裏一体になっているのではないか? というディスカッションになった。
 仕事で感じていることを思いつく限り書いた。私はネガティブをグルグルしていて説明になっていない…。参加者の中にはネガティブなことからポジティブに考えが流れていく人もいた。
 
 堀口さんが「言われて嫌だなと思ったことも、テーマがあったら、ありがたい意見に切り替えられたと思います。いいも悪いもないと考えると受け取れますよね」と言った。
「テーマ??」今の私には明確なものがない。それがあったら、プラスにも切り替えられそうだ。そしていいも悪いもない…。

 「ネガティブをグルグルしても、ポジティブにいけるシステムを構築したら抜け出すのも早くなる。そして、両方循環よく八の字のように流れるたら味のある人生になる」。コミコレのディスカッションでそうまとまった。

 今までの自分は、ポジティブな状態でグルグルしていることが自分らしいと思っていた。そしてネガティブの存在は認めず、現れるといつも消そうと必死だった。そして認めなかったからさらにグルグルして大きくなる。両方あっていいんだ、循環するからありのままの自分なのだ!

 仕事を辞めるまでの2週間、みんなのありのままの姿を見てみた。

 最後に一人一人に心から感じたメッセージを書いた。
 同時に返ってきたメッセージは、「いつも笑顔に癒されました」「いるだけでホッとして安心して仕事ができました」など、予想しなかったものばかりだった。
 働いているときは、ねぎらわれることがほとんどないと感じて辛かったが、私が受け取ろうとしていなかったのかもしれない。そして私もねぎらいを伝えることをしてこなかった…。

 6月、震災の後、初めて実家の福島に帰った。
 実家に帰ると、いつも通り母が「大変だったでしょ、おかえり」と玄関で迎えてくれた。電話で「夜ごはんを食べていく」と伝えてあるのに、夕飯がとってあった。
 いつもなら「食べてきたからいい」と突き放すところだが、今回は少し食べてみようかと思えた。

「ちゃんと毎日旦那さんが帰ってくるまでにご飯作っているんでしょ」と母が言った。
「家で食べるのは週に四回位だよ、二人で外食することもあるし、私も色々予定あるし」
「外食ばっかりしてるの? 節約しないとだめよ、好きなことして遊んでばかりいないで旦那さんが帰ってくるまでに家にいないとね」
また始まった…と思いながら今日は話を聞こうと決める。
「そうねぇ…」喉まで出かかった言葉をのんだ。

 色々な話を聞いていくうちに、母の人生の苦労話になった。
 結婚して大変だったこと、子育てで父が何もしなくて辛かったことなど、ずっとただただ聞いた。母は我慢ばかりしてきて、悔しさや怒りがしこりとなって心にわだかまりがある気がした。母も一人の女性として、働きながら精いっぱい日々過ごして、私たちを育ててくれたのだ。一生懸命だったのだ。今までなら気分が沈んだところで話をやめているので、一歩進めた気がした。

 「あなたはお姉ちゃんに比べると自由でいいわね」と母が言った。
心の奥深いところに引っかかって悲しくなった。『自由? それってダメなの?』

 高校を決めるときのことだった。吹奏楽が好きで行きたい高校があったが、その理由を両親に伝えられなかった。音楽が100点で学年1番でも、両親からは一度も褒められたことはなく、いつも五教科についてしかコメントがなかった。両親は私が姉と同様に進学校に行くものだと思っていた。だがそこには吹奏楽部はなかった。
 私は諦めきれなくて「○○高校にいきたい」と言った。「じゃあ、何のために塾に行かせたんだ? そんなに言うなら、学費は出さない」と、父に一言突っぱねられた。
 涙があふれてベッドの中で号泣した。私が三年間楽しくて好きで頑張ってきたことを辞めなければいけない…。

 親の望む高校に行ったものの、頑張っても成績が思うように上がらず劣等感を感じて辛かった。家ではそのストレスを発散するかのように、母に嫌なことを言われたら口を聞かないこともあり、そのたびに母は私に気を使っていた。

 親の理想の中で生きることは苦しくて、卒業したら家を出ようと決めた。

 最後に、母に思い切って伝えた。
「小さい頃、気持ちを聞いてもらえなくて寂しかった…。高校を決める時も、ダメとしか言わなくて、理由とか私の気持ちとか聞こうとしなかったでしょ」
「でもあなたが吹奏楽やりたかったのは知っていたわよ。お父さんが強かったから言わなかったけど…」
母から思いがけない言葉が返ってきた。分かってくれていたのだ…。涙が込み上げてきた。
 
 3時間くらい話をしただろうか。母親は「今までで一番あなたと話せた!」と笑顔でスッキリしていて楽しそうだった。

 2011年7月、夏コミ「ロジカルシンキング」。
 今、悩んでいることを事実と感情に分けて4コマ漫画のようなシートに書きだすワークがあった。

 参加者のYさんが「母親に自分が着なくなった服を着られることが嫌だ」と話した。
「お母さんの立場で考えると、どうしてそういう行動をすると思いますか? お母さんが望んでいることは?」播磨さんが言った。
 会場のみんなが考え始める。みんなからもいろいろ意見がでた。Yさんは、どの意見もあまり腑に落ちていない様子だった。

 最後に堀口さんが「お母さんはそうすることでコミュニケーションをとろうとしているのでは? Yさんとつながっていたいのではと思うのですけど、どうですか?」と言った。どの意見にもない、新しい方向からの見方だった。

 そうだ! 私は、母に否定されている気がして、今の自分じゃダメと思って、話せなくなったり、途中で話をやめたりしていたのだ…。母とはどう関わっていいかわからなくて、そういう行動になった。
 だが、母の反応はコミュニケーションの一つで、つながっていたいという思いがあるからだと考えれば、もう少し母の話を聞けそうな気がした。

 その頃、堀口さんのブログが一段と深い内容に変わって、読みながら自分に落とし込んで考えるだけで随分気付きがあった。
 じっくり考えたくて、もう電車の中では読まなくなった。心や感情に引っかかったことは立ち止まって考え、自分と向き合って感じることが楽しくなってきた。

 2011年10月、秋コミ「我慢」。
 「では、スケッチブックをだしてくださーい! そこに両親、兄弟や先生など自分に影響を与えた人の顔を書いてください!」と堀口さんが言った。

 スケッチブックとクレヨンが配布されていたが、まさか、やっぱり…。
 中学の時に美術2の評価をつけられて以来、あまり絵を描くことはなかったのだ。
 堀口さんや播磨さんも両親の絵を描いていて、堀口さんの「はっはーーっ」という笑い声で絵を覗き込みたくなる。みんな「うまいー!」とはしゃいでいる。

 髪型が書けない、輪郭はどんなだった? 私だけ、クレヨンが進まない。両親と姉と、お隣のおばあちゃんとおじいちゃんを描いてみたがやっぱり似ていない。

 「両親の顔や表情をしっかり見てなかったんですかね?」と堀口さんが言った。
 「あんまり見てないです…」

 今までの人生でちゃんと向き合ったことがあまりなかったな…。実家にいたころは両親との話をいかにすりぬけるか、はじき返すかしかしてこなかった。

 小さい頃、私の家は共働きだったので、私を保育園にいれようとしたら、お隣さんが「お昼はうちで見てあげるよ」と言ってくれた。
 昼間はいつもお隣さんの家で過ごした。随分かわいがってもらった。楽しい思い出がほとんどだ。お隣さんは自営業をしていたので、知らないお客さんともよく話をした。小さい頃に色々な人と関われたおかげで、社交的になれた。

 次のワークへと進む。
「では今日のメインの家訓ワークをやります! 絵を見ながら、よく言われたこと、言われて嫌だったこと、我慢したこと、守ってきたことを書きだしてくださーい」。

 似てない絵を見ながら思い出して書きだした。

きちんとお礼を言いなさい、人に迷惑をかけてはいけない、言うことを聞きなさい、あなたはわがままだから、貯金しなさい、無駄使いはダメ、楽しちゃダメ、お姉ちゃんと比べると…。色々出てきた。参加者の話を聞いていると自分にも当てはまることが多くて、どんどん思いつく。

 一通りあげたら、次は「家訓置き換えワーク」。
「今はあの頃のことをどう思う?」と考えていく。

 親は私に何を伝えたかったのだろうか…、どういう信念を持ってもらいたくて言ったのだろうか。なかなか手が動かなかったが、相手の気持ちになって考えた。

 今、「ありがとう」を素直に言えるのは「お礼をいいなさい」と育てられたから。
 「言うことをききなさい、あなたはわがままだから」は、自己主張が強いところがあるけれど、自分の価値観以外でも否定しないで話を聞いてみる、受け入れてみることも大切と伝えたかったのだろうか。今の自分に必要なことを言ってくれていたのだ。

「お姉ちゃんと比べると自由でいいわね…」数か月前に引っかかった言葉だ。
記憶はないが、小さい頃も比べられていたのだろうか?

 そういえばおねえちゃんがいつも羨ましかったな…。姉がやっていたピアノもやったし、小学校の鼓笛隊でベルリラを選んだのは姉がやっていてかっこよかったからだ。姉は親の望みが叶った子だった。
 私は地元にいてほしいという親の願いをおしきって、東京の大学に入り、そのまま東京で就職し、全国転勤の夫と結婚して今は好きなことをしている。
 親の期待を姉がすべて吸収してくれたから、私は自由に好きなようにできたのだ!

「ありがとう、おねえちゃん、こうしていられるのはおねえちゃんのおかげだったんだ!」

 堀口さんとのやり取りになった。
「私、小さい頃の写真が笑っているものが多いのです」と私は言った。
「私は無愛想な顔が多かったですよ。ハイチーズするのが面倒だったみたいで」と堀口さんが答えて、気づいたことがあった。
「あれ? 私小さい頃から周りに気を使っていたのかな? そういえばお隣さんでお客さんが来て、隣の子よ、といわれると愛想笑いをしつつ、距離を感じた気がします」
「家ではお姉ちゃんと比べられて、お隣さんでは距離を感じてどこにも居場所がない、満たされない気持ちやコミュニケーションの寂しさがあったのではないのですか?」
「あっ、そうだ…! その通りです」
鳥肌がたった。小さい私の気持ちを体全部で感じることに集中した。

「でも今までの話を聞いていると、両親からもお姉ちゃんからもお隣さんからもみんなから愛されていたのではないですか?」
「そうだった…。いつも誰かが笑顔でそばにいてくれた。お隣さんの家に行くと、昔の家族写真の一部に私が写っている。父は私と姉とずっと一緒にいたくて実家の近くに家を建てていた…。そういえば…東京に来るときに、姉は、『あなたはやりたいようにしたら?』と少し出費をしてくれて上京できたのです」
「えー、なんかドラマみたいな話ですね、みんなに愛されていたこと、今まで気づいていなかったのかもしれませんね」

 『あっ、私、愛されていたんだ…』
全身が熱くなっていって顔がほころんでいく。

 今までの記憶がパタパタとオセロの駒のように返っていって、イメージの中で背景の色が変わっていった。

 次の日に母親に電話をした。
「今まで小さい頃、愛されてなかったって思っていたけど、昨日セミナーに行って、愛されていたって気付くことができたんだ、ありがとう!」と伝えた。 
「あなたは小さい頃、愛されてないってずっと思っていたでしょ、『お姉ちゃんのほうが可愛くて、私なんかいなくてもいいんでしょ』って言っていたことがあるのよ。『そんなことはなくて、同じようにみんな可愛いよ』って言ったんだけどね…」と、記憶をたどるかのように母は言った。

私は身震いした。ああ、そんなに辛かったの? だから忘れようと決めて何も覚えてなかったの? 小さい頃の自分を抱きしめてあげたくなった。

「親の言うとおりにしていたら苦労しなくて済んだのに…」と親から否定されるのが怖くて、どこか不安が付きまとっていた…。愛されていたと思えたら、私が幸せになることが親も喜んでくれることだと思えた。
そう思うと、自分がやりたいことをやる時に、迷いが少なくなって、自分が楽しいことにエネルギーを注げそうな気がした。

 コミコレ1週間後、こんな仕事がやりたいと口に出していたことを「やらない?」と声をかけて頂けた。2011年やりたいことリストの4分の3が叶った。

 2012年1月、冬コミ「言葉」。
 「では寸劇ワークをやります! 役を決めるので、くじを引いてくださーい。実はこれは今日一番の難関ワークなのです」と言う堀口さんはワクワクしているように見えた。

 社内、学校、家族と場面設定と、役が書いてあるカードをくじ引きのように引く。
 今の自分に必要なメッセージがあたるのでは? そんな予感がした。
 そっと見てみると「家族、姉」と書いてあった。

 私たちのチームは、お爺さん役、お母さん役、姉役の3人で集まって、話を作るところから始めた。なんとか20分後には、オチもついて形になった。

 男性のお母さん役、女性のお爺さん役の人たちが妙に役柄にはまっていて笑いがとまらない。私は家族に対して態度が悪い姉…。演じることでいつもと違う言葉を発することがワークの目的だが、これって昔の素の自分でいけそう…。複雑な心境だった。
「ただいまー」と帰ってきてすぐ部屋に行ってしまう、お爺さん、お母さん達の会話を聞いて「言ってることワケ分かんない!」と突き放す。

 そんな姉の役が終わった後、昔の自分を見たような、罪悪感と悲しさが入り混じるモヤモヤな気持ちを感じた。ノートの端に「違和感…」と書き残した。

 コミコレ後のアウトプットが好きで、数日間、柔らかくなった頭で色々と考えを深めてみる。そして引っかかった感情も丁寧に自分に問いかける。

「違和感…、罪悪感、悲しさ…」演じた時のことをゆっくりそのまま感じてみた。
 ああ、子供のころから母に対して感情のままに冷たくあたることが多かった…。

 『ごめんなさい…』

 母に変わってもらいたい、否定しないでそのままの私を見てほしいと期待していた。
でも、母の心のわだかまりは私の怒り、悲しさも混ざっている気がする…。
 「もう、そのままでいいよ…、そのままで…」頬に熱いものが流れた。

 7歳の頃、お年玉で母の誕生日にお財布をあげたことがあった。どれがいいか悩みながら大好きなおかあさんのことを想って選んだ。

 母は、渡した瞬間も、開けた瞬間も、とびきりの笑顔で喜んでくれた。
 私は、その姿がとっても嬉しかった。

 「本当は…私、お母さんがとっても大好きだったんだ!」
 温かいぬくもりで固い殻が解けていった。