55 MASAKO
私は現在、様々な世代の人の健康管理をお手伝いする仕事をしている。
この仕事を始めて10年を迎えようとしていた頃。業務の一環で、コーチングを知った。気持ちが落ち込んでいるときに受けるカウンセリングと違って、普段の状態からアプローチしていくという形に興味を持った。
パソコンでコーチングをいろいろ検索したら、堀口ひとみさんにヒットした。なんかおしゃれな人だなと思った。でも自分とは仕事の内容も雰囲気もちょっと遠い人だなとも思った。
そんな気持ちとは裏腹に、堀口さんのことが気になった私は『かないずむ』『ひとみずむ』などの読み物を、どんどんダウンロードしていった。
いろんな人の体験談を読むだけでパワーをもらえた。堀口さんの、そして『ひとみずむ』のファンになった。
ファンになると、今度は実際に会ってみたくなるというもの。(笑)
2009年5月、我慢できなくなった私は、新居への引っ越しを1週間後に控えた忙しい合間を縫って『毎日がメッセージセミナー』に参加した。
更に7月には『独立3周年記念セミナー』にも参加して、堀口さんや『ひとみずむ』の作者の方々に、会いにいった。皆さん、キラキラしていた。私もこんな風にキラキラしたいと思った。
でも、正直言って別に大きな変化は望んでいないことも事実ではあった。仕事を転職したいわけでもないし、結婚もして、念願のマイホームも建てたばかり。
懇親会の終盤、近くの席に座っていたMaoさん(ひとみずむ11)とお話をした。
話の中でMaoさんと私は地元が近いことを知り、勝手に親近感を感じた。
会場では大越さん(ひとみずむ28・41)が作った『ひとみずむハイライトBOOK』が、ようやく到着し、盛り上がりは最高潮に。堀口さんをはじめ多くの人が感動して泣いていた。
「いいですね。こうして感動できるって。うらやましい」
私がつぶやくとMaoさんが言った。
「次はMasakoさんが『ひとみずむ』を書く番ですよ」
「え?」(何? どういうこと?)
「楽しみにしていますから」
(私、まだ堀口さんのコーチングをほとんど受けたことないのに…。これって予言? いやいやいや…)
固まった私をよそにMaoさんは満面の笑みで、そう話した。
セミナーに参加した後、感動した気持ちとは裏腹にコーチングを継続して受けようとは思えなかった。高いお金をかけるなら、このテーマで堀口さんにコーチングをお願いしたいという気持ちが、固まってからではないと受けてはいけないと思ったからだ。
堀口さんのコーチングを受けるのは、自分が変わりたいという目標が見つかったとき、そう心に決めた。
次の年の春、『ひとみずむ2』が発表された。
次々と新たな一歩を踏み出していく人々の物語に、私は再び夢中になった。特に海外旅行に初めて行く話(ひとみずむ15)が好きで、何度も読み返した。
更に海外で生活していたMEGUMIさん(ひとみずむ13)のセミナーに参加した。
世界で活躍している話を聞くだけでワクワクした。
ふと思った。私、一度も海外旅行に行ったことがないな…。
そんな私にチャンスが訪れた。大好きなアーティストのファンクラブ限定海外ツアーの募集がちょうど始まったのだ。場所はハワイ。初めての海外旅行にはいい場所かも。
しかし日程的に一人で応募するしかない。初の海外が一人って…。
更に仕事を長期に休むなんて社会人になり10年経つけどしたことがない。
職場の人は理解してくれるのかな。でも、海外に行くならまだ子供もいない今がいいタイミングかもしれないな。
散々迷った挙句に応募することを決めた。
「そっかあ。あなたが社会人10周年の記念に行きたいというのなら、行って来たらいいよ」と、旦那さんは快く送り出してくれた。
「あなたの仕事さえちゃんと段取りして、他に影響がなければ休んでもいいよ」
「せっかくなんだで、仕事のことは忘れて、明日からゆっくりハワイ楽しんでこやーよ」
上司や同僚も休暇を認めてくれた。
こうして、『ひとみずむ』がきっかけで、初めての海外旅行に、しかも一人旅にチャレンジすることができた。大満足だった。
初の海外旅行に行ってからというもの、満足感とは裏腹に、急に喪失感に襲われた。次の目標が、大きな立ち向かっていく目標が欲しい。でも、何も浮かんでこない。
何かきっかけが欲しいと思った私は1年ぶりに、堀口さんのセミナーに参加した。
特典コーチングでは、この何も浮かんでこないモヤっとした気持ちをテーマにした。
「何をしたいですか?」と堀口さんに聞かれた。
「コーチングの勉強や大学に行ってみたいですね」と、とっさに浮かんだ事を答えた。
すると堀口さんは、再び質問した。
「本当にしたいことですか? それをしてどんな気持ちを味わってみたいですか?」
「……」
答えが浮かばなかった。
堀口さんは、ちょっと違う感じがしたので、この質問をしてみたと言った。
そうなのだ、自分で答えておきながら、私も同時に何か違うって感じていた。
困惑する私に堀口さんは解説してくれた。
「やりたい計画を実行していくことで、欲求を満たしてきたつもりだけど、外側に求めるだけでは、心は満たされないのかもしれませんね。もっと自分の内側からの欲求を感じること。自分が本当に望んでいる欲求は何か? 焦らないでゆっくり感じていけばいいと思いますよ」電話越しの堀口さんが優しく微笑んでいる、そんな気がした。
そして、私が今まで堀口さんに抱いていたパワフルでアクティブなイメージと、なんか最近違うなとも感じていた。
それから半年ぐらい、次の欲求を見つけるため自分の内側に耳を傾けることを意識した。焦らなくていい…呪文のように唱えていた。でも、焦らないようにすればするほど出来なくて、逆に焦りが増していった。半年たっても自分の欲求すらわからないなんて…そんな自分が悲しかった。
焦りは次第に仕事にも影響を及ぼしていった。中でも一緒にチームを組んでいた同僚の言動にイライラするようになった。
打ち合わせした内容と違う資料を作ってくる…。教室の会場をダブルブッキングする…。欠席した前回の会議で方針決定したことを、次の会議で議論を振り出しにする…。
同僚のミスや言動に、仕事を先に進めたい私は焦りがどんどん募っていった。最初は我慢してイライラしないようにしているのだが、回数が重なってくると我慢しきれなくて最後には爆発してしまった。会議中に、同僚を怒鳴りつけてしまうこともしばしばだった。怒鳴った自分は悪くないと肯定しようと思うも、すぐに自己嫌悪に陥る…そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。
我慢して、我慢して、結局爆発して嫌になり、また我慢と…同じようなことを繰り返していた。
2011年2月、『ひとみずむ3』が公開された。自分とは違う世界、そう思いながらも、今回も読むことを楽しみにしている自分がいた。
更に今回は作品への投票があり、優秀作品は3月の『ひとみずむアワード』というパーティーで表彰されるとのこと。
パーティーか~。しかも場所は帝国ホテル…、パーティーっていう場所に行ってみたいな。華やかな場所への単純な憧れと共に、『ひとみずむ』に関わっている人々に再び会って話をして、いろいろ吸収したいという気持ちがふつふつと湧いてきた。
迷ったが、ライブに勝るものはないだろうと、『ひとみずむアワード』への参加を申し込んだ。『ひとみずむ3』を順番に読みながら参加することを心待ちにしていた。
だんだん日が近づくにつれて、期待が不安に変わってきた。堀口さんのコーチングを定期的に受けていない人で、パーティーに参加する人ってどのくらいいるのだろうと、妙に気になってしまった。
でも、コーチングしてもらうテーマを、相変わらず見つけられない。なりたい自分が見つからない。どうしよう…。
焦りがピークに達した頃、『ひとみずむ3』では大越さんの話(ひとみずむ41)が発表された。
「『なんでコーチングをしているのか』を、周りの人から何度も何度も聞かれてしまう。『うーん、セッションが良い時間だってのは確かなんだけどな』」
そう書かれていた。読んでビックリした。
そっか、テーマがなくてもコーチング受けてもいいんだ。まだやりたいこと見つかっていないけど、いいんだね。
妙に安心してしまった私は、2年間ずっと押せなかった90日コーチングの申込みボタンをついに押した。
翌週の金曜日。その日は私が担当している体操教室の日だった。
2階の教室でインストラクターの先生と一緒に、参加者の姿勢をチェックしていた時だった。何の前触れもなく、急にめまいに襲われた。
うわっ、気持ち悪い。クラクラする。なんか船酔いに似ている。貧血とか立ちくらみとか縁のない人なのに、私。疲れているのかな。
困ったなあ、どうしようかなあと思った瞬間、言葉が聞こえてきた。
「あれっ、地震じゃない?」
どうしよう! 頭の中が超高速でグルグル回転している。もう一度サッと周りを見渡すと、スピーカー以外は危険なものはない。
お客さんは冷静にその場に立っている。いや、立ち尽くしているのかも?
このまま揺れよ、収まって!
事務所に戻ると地震の話でもちきりだった。
テレビ画面に映る目を疑うようなニュース映像。ツイッターに流れる緊迫した言葉の数々。2日後に東京へ行く予定だったけど、ちょっと無理だろうなあ…。
次の日、自宅のパソコンには堀口さんから『ひとみずむアワード』延期のお知らせメールが届いた。
東日本大震災から1週間後、90日コーチングのオリエンテーションが予定通り始まった。
ここしばらく心が落ち着かない日々が続いていたが、堀口さんの落ち着いた声を聞いて、ホッとした。
これからどんなことをテーマにセッションしていくか。堀口さんに聞かれた。
「特に大きなテーマを決めずに、最近考えたことを深く掘り下げていきたい」と伝えた。
「いいですね、そうしましょう」と堀口さんは応えてくれた。
セッションの前には、その日に話したいことを準備用紙に書いて、堀口さんへ提出することになっている。何をテーマにしたらいいのか、その時感じていることを絞り出そうとしても、なかなか浮かばない。できれば楽しくて前向きなテーマにしたいのになあ…。
セッションの前日、しかも深夜になるまで、どうしようかと考えこむこともしばしばだった。
セッションがスタートするとテーマを捻り出す作業とは対照的に、近況報告の時間は決まって堀口さんと爆笑の連続になってしまう。私はこの時間が好きだ。ここがまさにウオーミングアップとして身体が温まっていく時間なんだろう。
最初にテーマにしたのは、王道のテーマ(?)部屋が片付けられないことだった。
小さい時から整理整頓が苦手で、自分の部屋やリビングの自分のスペースだけ物であふれていく。結婚してからも、整理整頓が得意な旦那さんの部屋やスペースは綺麗なのに、自分のスペースは一向に綺麗に出来ない。毎日見て見ぬふりをして視界から消そうとしていた。時々一念発起して掃除すると、どこから手をつけたらいいのかわからない。
堀口さんに「どうして片付け作業が進まないのでしょうか?」と聞かれた。
「つい、昔の写真とか思い出の品が出てくると、ああこんな出来事があったな~って、思い出にひたっちゃうんですよね。だから捨てられないし」
「なるほど……」一呼吸おいて堀口さんは続けた。
「では思い出を大切にしたいなら、邪魔にならないように写真に撮ったりしてみたらどうですか?」
「写真ですか!?」
「そう、写真ならいつでも思い出は残るし、しかもかさばらないですよ」
「なるほど!!」
まるでクルクルっと歯車を回したような、鮮やかな発想の転換に思わず唸ってしまった。
「それにしても、過去の思い出に浸るというのは、どうしてでしょうか?」
私が感心している間に、堀口さんから素朴な質問がきた。
「う~ん、そうですねえ……。あ! 質問の意味とはちょっと違うかもしれませんが、なんとなく思い出に浸っているときって、私の頭の中で私ともう一人の私が会話してるような気がするんです」
「え? Masakoさんが二人!? もっと詳しく教えてください!」
私の例え話にスカイプ越しの堀口さんが食いついた気がした。(笑)
「えっと、イメージとしては天使と悪魔でしょうか。いざ思い出の品を捨てようとすると、その頃の余韻に浸ってるとしますよね。ひとりの私が『よし捨てよう』と言う。すると、もうひとりの私が『まだ使えるよ』って言う……みたいな」
「なるほど。心の中に今の自分である……Masako Aさんと過去の世界の……そんなAさんを引っ張る Masako Bさんがいると……」
「はい。そんなイメージですね」
「ほほ~。つまり過去のことを何か確認したいのかもしれないですね。だからBさんが確認作業をしたくなる。そして掃除で手を止めさせてしまう」
セッションの終わりに、堀口さんは探偵のように推理を披露してくれた。
「なるほど~!」私は再び唸った。
次のセッションは仕事をテーマにした。
トラブルが起こったり、失敗しそうになると途端に焦ってしまうのだ。しかし、どうしよう、どうしよう……とドキドキしながら、意を決して職場のスタッフに相談すると、「これくらい大丈夫ですよ」「大したことなかったよ」と言われる。そんな焦っていた自分自身に拍子抜けしてしまうことが多かった。
「なるほど、なぜMasakoさんは焦ってしまうんでしょうかね~?」
「うーん」
「何か過去に気になる出来事があったとか?」
「いや、そんなんじゃないような……。あ! もしかしたら、自分とは違う考えや意見を言われると、焦ってしまうような」
「それって、つまり……相手の感情に流されていません?」
そうか…そうなのだ。相手が、けんか腰とか強い口調で言ってきたりすると、「え? 私悪かったかしら?」と感じていた。または「私は、悪くないのに、何なの!」と、逆に正当化してしまっていたのだ。相手の感情に巻き込まれた結果、気持ちが動転していたことがわかった。
そしてこの傾向は、特に女性に言われたときに強く現れていた。同じようなことを言われても男性は言い方が冷静だからか大丈夫なのに。
「確かに女性のほうが感情的ですからね」堀口さんのその一言に妙に納得した。
このセッションをきっかけに、自分の焦りとドンドン向き合っていくことにした。
一人っ子の私は、小さいころから自分の気持ちを伝えることが苦手だった。特に愚痴や弱音をどうやって吐いたらいいのかわからなかった。
こんなことを素直に言ったら、きっと親が心配するだろうな~。心配されたらされたでやりとりするのが面倒だし、正直辛いからな~いつからかそう考えていた。
「例えば、風邪とかで寝込んだとしても、心配かけたくないから言えないんですよね。結婚してからもせっかく近くに住んでいるのに……」
「えええーーーーつ!?」
「え? はあ……そんなに驚きますか?(苦笑)」
「驚きますよ! 言えますよ、普通!!」
「そ、そうですよね…変ですよね」
「そうですよ、親は子供を助けたいと思いますよ。言ってもらえたほうがきっと喜びますよ」
結婚するまで実家暮らしだったので、結婚と同時に離れた両親との距離感を、うまく掴めなくて、わからなくなっていたのだ。
「両親はMasakoさんにどんなことを望んでいるか、今ならわかりますか?」
「きっと、一緒に過ごす時間を増やしてほしいと思っていると思います。そうですね、最近行けてなかった旅行とか、家族で行きたいですね」
「いいですね、きっと喜ばれると思いますよ」
夏の終わりのある日。仕事に行こうと布団から出ようとしてが、起き上がれない。数日前から悩まされていた腰痛が、更にひどくなったのだ。3日間はだましだまし仕事に行き、痛みと闘ってきた。
でもこの状態では自力での車の運転も難しく、さすがに出勤できそうにない。諦めて職場に仕事を休む旨の連絡を入れた。
さて、このまま安静にしていようかな。でも、職場の人には一度病院に行ったらって言われたしなあ。タクシーでも呼んで病院行こうかな……。 いや、待てよ。もしかしたら木曜日なら、父は仕事がお休みで家にいるかもしれない。でも、心配かけちゃうだろうな、きっと……でも……どうしよう。
痛みの中、頭の中でふと聞こえてきた。
(「えええーーーーつ!?」ああ、セッションの時、堀口さんに、めっちゃ驚かれたよね。そうですよね、そりゃあ変ですよね。)思わず思い出し、ひとり苦笑いをした。
3時間後、私は病院の外来待合室の前にいた。
「やっぱり病院って混むんだね~。朝1番に予約番号取りに行っても、当日予約だと2時間半後にしか番号取れんかったからなあ。家に一旦帰って休憩出来て良かったよ」
私は独り言のようにつぶやいた。
「そりゃ~、病院は混むところだでな」と、父がボソッと言った。
「もうすぐ呼ばれるんじゃない?お母さん一緒に診察室まで行こうか? 歩ける?」
「大丈夫、ありがとう」
私は母にそう答えた。
「そーだよね、そーだよね。お母さんが付いていったところで、先生と話すのはまーちゃんだからね、そうだよね……」
母は独り言のようにつぶやいた。
(また、つぶやいてる。こんな心配性なところが苦手なんだよね。でも、ま、いいっか)
私は心の中でつぶやいた。
待合室の長イスに、いい大人の親子3人が並んで座っている。腰の痛みと共にゆっくりとした時間が流れていった。
セッションを重ねるごとに、新しいことを探すよりも、自分の気持ちと向き合うようになっていた。お休みの日にふらっとひとりで出かけてカフェでお茶したり、旅行に出かけたりした。庭に近くのホームセンターで買ってきた花や野菜の苗を植えて、育ててみた。
成長を見守るだけで心が穏やかになった。
プライベートでの穏やかさが深まってくると、それと比例して仕事でも落ち着いたスケジュールになっていった。被災地派遣の話も、夏になると現地からの要望で中止になった。人事異動の話も秋にはなくなり、引き続き同じ仕事を担当していた。
変化がないな……。成長していないな……。また焦りだした。
次のセッションで、仕事で新しいことに挑戦できていない、熱中していないことについて話すことにした。
「今まで自分で頑張ってきた仕事に、最近後輩が関わることになったんです。自分のペースでやれていたのに、久しぶりにみんなで仕事をすると自分のペースが狂ってしまって。なんか変なんですけど、自分の仕事が取られちゃうような気持ちになって……。こんな自分がどこまでやっていいのかわからなくって」
後輩は私と比べて仕事の進め方が早く、ガンガン突っ走るタイプだ。彼女は先々の段取りやスケジュールが決まっていないと、私に打ち合わせや作業の催促をどんどんしてくる。そんな後輩を頼もしいと思う反面、じっくり仕事のアイデアを熟考したい私はこんなに焦らなくてもいいのにと、不満を持っていた。
「それでは、もし後輩の彼女に仕事を全部任せるとしたら、どんな風になると思いますか?」
「全部ですか? ええ……はあ……」
「そうです、そう考えてみると、どんな形になると思いますか?」
「そうですね…きっと彼女が仕事の全体を見渡せて、焦りが少なくなるような…あ、そっかあ! 自分は彼女のサポートを最初からすればいいのか!! ああ…」
「昔のMasakoさんを思い出してみてください。どんな風に仕事をしていましたか?」
「過去の自分は上司や先輩にも会議で『この企画はこうしたほうがいいですよ』と言わせてもらって、自分の担当の仕事を好きなようにやってましたね。周りの人にも『やってみたら』といつも言ってもらえて…。ん!?」
もう一つ気が付いた。過去の自分は後輩と同じように仕事してきたんじゃないか?
「そっかあ、今度は、私がフォローする番だったんですね」
「そうですよ、Masakoさんは後輩を育てるポジションになってきているんですよ」
「そう考えたら、自分の仕事を取られちゃうなんて、きっと感じませんね」
そっか、そうだったんだ。後輩は成長したい気持ちを持っていたんだ。
これからはもっと後輩の思いを形にするお手伝いをしたい。仕事の能力をのばしてあげたい。自分の仕事での役割がわかった瞬間だった。
仕事のスタンスは掴めてきたが、新しいことは何に挑戦したらいいのか、わからなかった。いままでは、学校を選ぶときも、就職先を決めるときも、仕事先が代わるときも、なんとなく向こうからきっかけがやってくる、そんな感覚だった。
次のやりたいことは、成長しないと次のきっかけが向こうから来ないのかな……。成長するために何かしなくちゃ、できてない自分はだめなのではないか…。よくわからない罪悪感に襲われていた。
「どうして罪悪感に襲われるんでしょうね。きっかけが向こうからやってきても、結局最終的な決断をしているのはMasakoさん自身ですよね。そんなに焦らなくても必要な時に決断できていれば、いいと思いますけどね」
そんな話を堀口さんと話しているときだった。急に私は4歳の頃の体験を思い出した。
幼稚園で作成されるアルバムに載せる文集のアンケートに答えていた。お題は『しょうらいのゆめ』。
お花屋さん、看護婦さん、ピアノの先生、おまわりさん……クラスメイトがあっという間に書き上げ、園庭で遊ぶために飛び出していく横で、私は固まっていた。
「Masakoちゃんは、何になりたいのかなあ?」幼稚園の先生が私に声をかけた。
(なにになりたいって……なにに……なに……)頭の中で考えても答えが浮かんでこない。
「大人になったらどんなお仕事したいのかなあ?」もう一度先生が聞いた。
(おしごと……おしごと……)職業を一生懸命思い浮かべた。
「知ってるお仕事で何かないかな?」
(はやくかかないとせんせいこまってる、どうしよう……ええい! これでいいや!)
とっさに書いたのが『くつやさん』だった。
「あら、Masakoちゃん、靴屋さんになりたいのね」文集を読んだ母に聞かれて、返事に困った。
(べつになりたいわけじゃない。なにか、かかないといけなかったから。ねえ……)心の中でちょっとイラつきながらつぶやいてる幼い私がいた。
「えええ~っ! 4歳のMasakoちゃん、夢を言わされちゃったんだ!」
「みたいですね、しかも若干怒ってるし(苦笑)」
「アハハ、怒ってる!(笑)」
「ですよね~怒ってる(笑)」
「つまり、小さい時からMasakoさんはじっくり考えるタイプだったんですよ。だからすぐに夢が浮かばなかった。けど周りに言わされてしまった」
「そうなんですよね、そして夢が浮かんでこない自分にも罪悪感があって……」
「なるほど、今までの罪悪感は、きっとこの頃の体験が根底にあるのかなと……。Masakoさんの心の中にいるインナーチャイルドがイライラしていたんですね、きっと」
大人になっている私がイライラしている根底に、子供の頃の体験がこんなに影響していたとは…。思わぬ展開にセッション後も驚きを隠せなかった。
このことがきっかけでもっと内面と向き合いたいと思った私は、堀口さんのクライアントの康子さんのインナーチャイルドセラピーを受けた。
思い出したのは10歳の頃の私。
学校から帰ると、近所の幼なじみの家に遊びに行った。二人で遊ぶもんだと思っていた私の前に、当時苦手だった女の子と近所の別のお友達も5人が現れた。
私はだまされたと思った。
「みんなで一緒に遊ぼうよ」
苦手な女の子に言われて、私は思わずその場から逃げ出そうとした。
でも、すぐに追いかけられて全員に取り囲まれてしまった。
「いやだ、とにかくいやなの~」
私は泣き叫びながら、女の子と取っ組み合いのケンカをはじめた。
「なんで、ふたりはケンカするの?」幼なじみはキョトンとしている。
「一緒に遊べばいいのに?」
他のお友達も不思議そうな顔をしながら傍観している。
(なんで、だれもわたしのきもち、わかってくれないの!?)
やっとの思いで幼なじみの家を飛び出すと、泣きながら自宅とは反対方向に走った。
言えなかった。幼なじみと二人で遊びたかったって、言えなかった。
堀口さんとのセッションでも、セラピーで感じたことを取り上げた。
すると10歳の頃の自分の体験から、今の自分の苦手な部分が見えてきた。
女性ばかりの職場だと必要以上に気をつかってしまうことがわかったのだ。
「前の女性ばかりの部署に仕事で出かけた際、挨拶をしてもシーンとされることがあるんですが、もしかして私は嫌われているのではないかと、妙に考えてしまうんです」
「なるほど」堀口さんは、しばし考え始めた。
「はい、どうしたら気にならなくなるんでしょうね?」
「んー。だったら周りの様子を探るのではなく、直接気持ちを聞いてみたらどうですか?」
「直接聞くんですか!?」
「だって想像したってわからないですよ事実は。聞いてないから(苦笑)」
「確かに(苦笑)。でも…どうやって聞いたらいいんでしょう…。変なこと聞いてまた嫌われたらと思うと、考えてしまって」
「『いま大丈夫ですか?』って始めに聞いてしまうんですよ。反対に『もう少し待ってください』と、自分から要望したり、相手の要望を聞いたりしてもいいんですよ」
「そっかあ、タイミングも気持ちも相手に聞いてしまえば、わざわざ自分で探らなくても良いんですね」
堀口さんは、私の後ろ向きな気持ちを、そっと前に向くヒントを今日も教えてくれた。
インナーチャイルドが満たされた私に待っていたのは、憧れの『ひとみずむ4』の執筆だった。心の底から嬉しかった。憧れの皆さんに一歩近づけたかな。
期待と不安の気持ちが入り混じった私は『ひとみずむ』執筆のために、堀口さんとここ半年を振り返っていた。
「あれ? Masakoさんのお話って、まさに『青い鳥』じゃないですか!」
セッションの途中で突然、堀口さんが大きな声でつぶやいた。
「え? 『青い鳥』ですか?」
「そうです、童話の『青い鳥』ですよ。仕事、旅行、結婚、マイホーム購入など、いろいろとやりたいことをやってきたけど、また満たされなくて…で、結局、自分の内側が平和になることを望んでいたような…」
「あああ! ホントまさに『青い鳥』ですね。私ずーっと『青い鳥』探していたんですね」
「『青い鳥』を探していた。つながるもんですね」
「そういえば、私の大好きなアーティストの歌にも実は『青い鳥』ってありまして……。(笑)」
「あははは、偶然ですね! これもつながってる~。(笑)」
2012年のお正月。車で5分のところにある実家に夫婦で遊びに行った。
私のリクエストで母が作ってくれたしゃぶしゃぶ鍋をお腹いっぱい食べて、居間でこたつに入りながら、私は毎年お決まりのバラエティ番組を観ていた。
ビールを飲んで酔っ払った父と、旦那さんはこたつでウトウトしている。
母はデザートにイチゴを出すため、再び台所へ向かった。
居間の戸棚には、母が大切に持っている母子手帳が入っている。
そういえば私、結婚式の前日にもコッソリ読み返したよね。そんなことを思い出していた。
母子手帳によると私は、出産予定日よりも2週間ほど早く生まれてきた。
生まれた体重が1860gと、いわゆる低出生体重児。そのため、1か月ほど保育器で入院したという。
その後も順調に成長するも、体重はなかなか増えなかった。
母子手帳に、地元の保健所から保健師が訪問したと記されている。何回も家に母子の様子を見に来てくれていたようだ。
家族も周りの人も私の成長を心配していた。
それでも少しずつ成長し、か弱いながらも3歳の誕生日を迎えた日、母子手帳の3歳の欄の片隅に鉛筆で母の言葉が記されていた。
* * * * *
小さく生まれてきたこの子も、ようやく3歳を迎えることが出来ました。
身体は小さいけれど、周りの子とちっともひけはとりません。
言葉もよくはなします。数字だって読めます。
元気に成長してくれて本当にありがとう。母
* * * * *
『あ、母子手帳の表紙、青い鳥の絵だったんだ…』