51 TAMAKI
学生時代、SMAPの「世界でひとつだけの花」という歌が流行っていた。
俺はアンチ派であった。「やっぱり、NO.1だろ」と、少しばかりの自信を持っていた俺は、「ビジネスの世界でどこまで通用するか、試してみたい」と社会にでた。
それから、7年が経とうとしている。学生時代の俺に、今の私を想像できただろうか?
人生に閉塞感を感じていた。
陽気なブラザーにでも会い、よう、兄弟、人生うまくいっているか?」と聞かれたら、こう答えるだろう。
「なにも、上手くいっていない」
「いい薬があって、それさえあればHAPPYだぜ!」と言われたら、手を出しそうだ。
それでも、上手くいっていないことを自分で認めたくなくて、何とか自力で頑張っていた。
「才能とは闘い続ける力そのものだ」という言葉を信じて。
だが、それも、評価面談での上司のある言葉から、限界だと思った。
昨年対比4倍の売り上げと130%UPの基準合格者を出し、コスト削減を達成した。また、前任者が放棄した上層部へのトレーニングプログラムも自身で企画した。
そんな、目に見える形で結果を出して、高評価を得られると思っていた評価面談での言葉。
「評価が低いのは、お前が損しているからだ」
「俺は、お前が適正あるとは思っていないんだよね」
「信頼できないんだよね」とのお言葉と低評価。
期待とは裏腹、怒りが絶頂に達しそうだった。役職が上の前任者より高い成果を出している。それに、一番キレそうだったのが、私の仕事の中身を全く知らないことの判明。どうやって、評価つけてるんだ? 自己の正当性を訴えても、無言である。
「さて、問題です。ここで上司を殴ったらどうなるでしょうか?」
心のコメンテーターが私に問いかける。
私は、目標達成にプライドを持っており、様々な注文にも我慢をし続け、過去最高記録を出していた。正直、結果を出して認められなければ、どうしたらいいのか迷う。会社に何回も不信感を感じることはあったが、会社のせいにしても何も始まらないから、結果を出すことを選んだのに。
プライベートで出演したミュージカルの公演が終了し、久々にまともな感覚を得たと共に、それをもっと味わいたく、「環境は自分で創るもの」とも思い、そのためにもどうすればいいのかを考え続け、先輩にも相談したが、GIVE UPだ。
何か答えがあればとネットサーフィンをしていた時、堀口さんのHPにある宣伝が目に映った。
「自分の内側の声を聞いて進んでいきたいと思ったら、コーチをつけるタイミング」
いいかげん誰かの期待に応えるだけの人生に嫌気をさしていた私は、お願いをすることにした。
仕事柄、コーチングを受ける機会は多い。しかし、未熟なコーチは、自分が認められたいがために話を聞いているかのように思えた。「どう自分のコーチングスキルは?」と。本当のことなど話せるわけもなく、お上手なコーチングを行ったと思わせるための気遣いに疲れていた。
コーチングというより、なんでも話せる友人みたいな存在がほしかったのかもしれない。
「ひとみずむ」を読んで、ざっくばらんな感じの堀口さんにお任せすることにした。結果を出してきた人ということも信頼につながった。
コーチングが始まった。セッションの前の質問集に取り掛かる。
こいつが厄介だ。
「あなたが夢中になっていることはなんですか?」
「あなたが楽しいと感じることはなんですか?」
まったく、希望のない答えしかでない。
「あなたの人生の目的・使命はなんですか?」
逆に教えてくれ。
心のコメンテーターが問いかける。
「さて、問題です。10万円の価値はあるんでしょうか?」
飛ばずに後悔するより、嵐の中にでも出たほうがましだ。
堀口さんには、何でも話そうと決めた。
1回目のセッションで、上司に「おまえは損している」と言われたことや、結果を出して認められなければ、どうしたらいいのか迷っているということを話した。
今の会社で、どう認めてもらうか? にエネルギーを注いでいたが、転職もあり得るかもしれないと柔軟に考えてみる姿勢を持つことにした。
堀口さんから質問を受けると、色々なものがよみがえり、感情と思考が動いていくように感じた。久々の感触だった。
その夜、夜中に目が覚めた。目の前に壁があって身動きできないというのを、直に体に残る感覚で味わってしまった。不快な感覚だ。
最近、仕事終わりにミュージカルの仲間とごはんを食べた時に、「Tamakiは、かなり無口だよね。時々、ノックして、入ってもまた閉じちゃう」と言われた。
私的には、「あれ、自分ってそんなんだっけ」みたいな感じだった。そういや、仕事・職場であんまり、本音を言ってなくて、 随分、気持ち悪い仕事の仕方をしているのだろうか?
他人の話は、聞くようにはなったのだが。どうやって、自分を下げずに、相手にYESと言わせるのかに注力しすぎていたのか?
堀口さんに、コーチングをお願いしようと思ったことも、いい加減誰かに裸の私の話を聞いてほしいという欲求が、出てきている証拠か。
次のセッションで、今の気持ちから抜け出すために、葛藤について話をした。
結果を出しているのに、なぜ会社に認められないのか、疑問だった。
「上司は自分を評価すべきだと、囚われていませんか? 自分で自分のやったことを評価することでいいと思いますけど。『お客様も喜んだし、結果を出した』そう思ってしまえばいいんですけどね」
「私が得をしていないのは、納得いかないです」
「誰のために仕事をするのですか?」
どこに納得をすればいいのか、全く、わからなかった。
堀口さんも、会社の評価を当てにする必要はないと思い始めたことがあったらしい。「月5000万円達成できたら独立するぞ!」と会社の予算とは別に、自分自身の目標を設定したと聞いた。
私が、目標設定をするとしたら、何になるのだろう?
業務上、数字に出せるものが少なく、目標達成の基準が難しいと思った。しかし、置き換えてみると自分の考えを実現できた時、自分らしい仕事ができたことを目標達成と考えればいいのかと思った。
「自分らしく走ってもいいのに、なぜでしょうかね?」
突っ走って、努力して、できないことにも挑戦してやっていた日々もあった。最近は、自分を抑えている。自分に自信がないというのが本音だったのかもしれない。突っ走る傾向が自分にあり、抑えてきたのだ。
セッションが終わってから間もなく、堀口さんからメールが送られてきた。
「セッションのあとで、ふと思ったのですが、過去に、自分が突っ走りすぎたことでの、罪悪感みたいなものが納得できていないところがあるのかな? と。そういったことで、行動のブレーキになることもあるので。推測なので、何かあるかどうか? 一応考えみてくださいね」。
堀口さんには、何でも話そうと決め込んでいた私は、思いつくだけ書いて送信した。
小学校時代、協調性がなく、つっぱしって、いじめられた。・中学校時代、自分に従わない奴をいじめて、登校拒否にさせてしまった。中学校時代、教師に反抗して、鬱にさせてしまった・中学時代、いじめられている奴を助けたら、逆にいじめられた・高校時代、練習をしっかりやらない奴に対して、厳しいことをよく言っていた。・それに対し、高校時代、部員がついてきてくれないことが、辛かった。・高校時代、誰よりも練習をしたが、結果がでなかったこと。・大学時代、部員がついてきてくれなかったことが辛かった。自分が直接の原因ではないが、嫌な思いをして、サークルをやめていく人がでたのが辛かった。・大学時代、サークル活動を優先し、彼女をほったらかしにしていたら、別れてしまった。・大学時代、売上記録を更新したのに、評価してくれる人・喜んでくれる人がいなかった。・大学時代、彼女と会いたく 、強引に会おうとした時から、別れがでてしまった。・上記の時も、まだ行動すれば、やり直せると思っていたが、体が動いてくれなかったことを後悔している。・その後、うつ病にかかった。 何とか復活して、親しくなった女性に告白したら、「やっぱり安定が一番ですよ、ジェットコースター人生には付き合えません」と言われて、フラれた・入社研修で、突っ走ったら、できないやつが行く営業所に飛ばされた。・自分のやり方で、売上げていたら、顧客と売り上げを取り上げられ、違う部署に配属された。・自分で考えた新しい営業手法を取り入れて、経営層に提案したら、全社業績が昨年比で2倍弱あがり、今では会社の強みと社内外で認知されるまでにいったが、他部署のMが相当根拠のない批判をし続けた。また、評価には反映されなかった。また、営業手法の恩恵は、他の人間に渡った。・明らかに他人と比べて、リソースを削減された・いいかげん、上司に従っても売上げが上がらないと思い、自分で戦略を立て、大型案件を受注し、大幅な目標達成をしたが、周りからたまにおこるミラクル・何かがあったんだよと認められなかった。・上司がしていた私の部下への悪質な行為を辞めさせるべく、社長・取締役に直訴したら、任せた仕事の手を抜く等の陰湿な仕返しをされた。・上司に意見を言うと、うざい・めんどくさい・いうことやりゃいんだよと言われるか、聞きながす・メールで返信返さない。・何かをオフィスで発言すると、関係のない人が遠くから、批判してくる。
心のコメンテーターが、問題を出してきた。
「さて、問題です。世間一般的にこのような人を何というでしょうか。早押しです」
俺は、問題児か?
隣の席のプロパー女子は、「THE 優等生」。上司の評価も高い。彼女の失敗の責任は、こちらにくるのだが。経営陣は従順な奴を好むのだろうか。
立て続けに心のコメンテーターが、問題を出す。
「さて、問題です。あなたの価値はおいくら万円でしょう?」
俺に価値はあるのだろうか?
おきて破りのPASSを使い、次へ進むことにした。
ブレーキがかかっていることはわかっていたが、何がブレーキの役目をしているのかが、わからなかった。
自分自身にOKを出すためには、自分の考えを前面に出す機会が必要だ。
我慢していた自己主張をすることにした。
社長も、役員も入っているメーリングリストで言いたいことを言った。経営陣には耳の痛いことを礼儀を踏まえて提言した。馬鹿だな、また出世が遠のいたと思いつつも、よかったと言ってくれる人がいたことは、せめてもの救いだ。自分らしさが少し戻った気がした。
それでも納得できなくて、市場価値を知りたくて、某転職サイトに登録した。
わかったことは3つ。
1.年収は、やはりあがる。
2.市場は少ない
3.市場の中でもエッジを利かせなくてはいけない。
このままではいけないことは、なんとかわかった。
そんな中でも、上司は仕事をためこんでいた。返事も返ってこない。
休暇をとって、プライベートでのご内密の旅行に行かれていた。世が世なら、斬り捨て御免だ。
心のコメンテーターが、また出てくる。
「リーマンショックの影響がさらに進み、今後、勝ち組と負け組の差がより激しくなるでしょう。まあ、最初から勝ち組なんて、決まってるんですけどね」
それでも諦められずに、2回目のセッションのテーマは、「自分らしさを発揮し続けるには?」。
堀口さんが、色々と質問をしてきた。
「自分らしさを活かせている状況はどんな時ですか?」
ガンガン前に進んでいる
自分がリーダーになっている状況
自分のペースがつかめている。
だが、現在の上司が仕事をためこむタイプであり、ぎりぎりに落としてくる。前に進んでいる感はなく、時間ぎりぎりの状態ではクオリティーがさがる。
「そのような上司のタイプを踏まえて、何かこちらからできることはしていますか?」
催促をすることや、基準をさげることを許す。かつては、上司を飛ばしたこともあったが、関係性が悪くなったので、今回はごめんだ。
関係性をよくしようと思って上司の誕生日会の企画や、自分自身がでているミュージカルにも誘った。
「え! 上司の誕生日会まで企画したんですか! プライベートでミュージカルにまで誘うとは。Tamakiさんは、サプライズ好きですね。いろいろやっているんですね」
「転職したほうがいいんでしょうかね?」
答えはNOだった。ここで逃げたら、何も変わらないと思った。リーダーを目指す自分としては、ふんばりどころだと思った。
上司には、ちゃんと返事をしてほしい。ちゃんと仕事を見てほしい。私を理解してほしい。
だが、上司はコミュニケーションをとらずに、一人で黙々と仕事を進めるタイプ。
自分が進めて、あとは決済の所で済むようにもしているが、もっとやりようがあるんじゃないの? という思いがある。
どうやったらこの人を動かせるのだろうか?
でも、答えはでなかった。
ここからは、堀口さんのティーチングタイム。
「私が店長のときに、オシャレのことについてあまり興味が持てなくて、部下に仕事を振りっぱなしになっていたんですけど、社長から、『オシャレじゃなくてもアパレルのビジネスはできる』って言われて、そのためには、自分の苦手な分野を得意とする人と仲良くすることだって言われたんですよ。だから、自分からオシャレなスタッフたちに、『どこの店で服を買っているの?』って聞いたり、実際にそのスタッフの行っている店に行って、『よかったよ!』と報告したり。自分が出来なくても、相手の興味のあることを共有することで、一緒に仕事をすることができるようになって、自分の苦手な分野でもチームで成果を上げられるようになったんですよね」
上司とどうまくやっていたのかも聞いた。
「渋谷店は、何でも売れるイメージを持ってもらうために、『何でも売るので、何でもください』と、よく言ってましたよ。他店の売れない商品を売れ筋にしたり。スタッフたちも個性的で、それぞれ欠点もありましたけどね。まあ、結果オーライのことも多いし、笑っておわり。店が明るければ、お客様にもいい感じに伝わりますしね」
「コーチングだけじゃなくて、ティーチングも併せて使わないと、前へ進みにくいですよね」
私の考えていることと、一緒だったので、この人わかっているなと思った。
結論は、やはりコミュニケーションをとるしかない。承認を増やすとか、話す時間をシステムで組み入れて持つとか。それから、上司とその話をし、とりあえずの約束はとりつけた。
プライベートでは、ミュージカルでの大阪公演で、スタッフのボランティアをした。外誘導をしていたとき、土砂降りの雨の中、真っ先に外にでて、お見送りをしていた。
こんな俺が、まだいたことが新鮮だった。
前半は、仕事のことを話題にしてきたが、4回目は、ひっかかっていた恋愛をテーマにした。
そろそろ結婚を考えてもいい年齢だ。気になる子がいるが、積極的に動けていない。
人生で初めて涙がでた別れがあった。相手を尊重することがうまくできなかった自分に原因があった。失恋後、自分を全否定して、すべての自分を変えることを決意した。そして、努力してきたつもりだ。相手の話を聞くこと、相手を理解することを。
でも、乗り越えたかというと違う。何かが足りないのだ。今では、自分を変える必要があったのかさえ、わからない。ぽっかりと、空いており、自分でない感覚なのだ。自分の心に問いかけると、とても悲しい感じがする。
「俺は…」
「彼女に何か期待していたんですか?」
そう、あの時の俺は、彼女に依存をしていた。
当時は、才能や学歴、見た目等、関係ないと思っていたし、挑戦を続けていた自分に誇りを持っていた。だから、裏切られた気がしてショックだった。
12歳の時から努力と挑戦をしてきたのに、何もかも上手くいっていなかった。彼女だけが支えだった。その彼女が俺の元を去っていったことは、その時の俺には、耐えられないことだった。努力の意味を感じられなくなっていた。
そして、人が離れていく恐怖から、俺であることを止めてしまったのだ。
今の状況と似ていた。あの時、出せなかった答えを出す時だと思った。あの時から、仕事で埋めようとしたが、埋められなかった。
今は、相手に何かを満たしてほしいという欠乏感はない気がする。自分も相手も尊重できる自分になってきているのではないか。
今回のセッションでは、衣食住の見直しや、子供の頃に満たしてほしかったことを振り返ったり、自分を自分で満たすことについて考えるようにと、堀口さんから提案された。
『食べて、祈って、恋をして』のDVDを観ることと、リズ・ブルボー『LOVE LOVE LOVE』を読むことが宿題になった。
自分で自分を満たすと言っても、わからない。
何が食べたい? 何を着たい? どこに住みたい?
誰かの望みを叶えることで、自分の望みが叶うと思っていた。
だが、誰かが望みを叶えてくれることなど、ほぼなく、疲れ切っていた。
このタイミングで、友人の結婚式に出た。彼は、独立しており、美人で素敵な奥様だった。
あの位置にいるのは、私ではなかったのか?
「あいつは努力したからなー」との友人のコメント。
私は努力をしてこなかったのだろうか?
本気で好きになった子に久しぶりにあった。 まだ結婚はしていなかった。元彼か今彼かはわからない人も来ていたが、関係ない。でも、好きだった子には話しかけられなかった。
また、心のコメンテーターが問題を出した。
「あなたの7年間はなんだったのでしょうか? 何を学んだのでしょうか? 今度は選択問題です」
1.「物語と現実は違うのです」
2.「努力は報われないのです」
3.「挑戦より安定が一番なのです」
4.「下を向いて言うこと聞いてりゃいいんだよ」
どの答えも否定すべく、会社に合わせた夢しか持てていなかった自分に気づいた。
会社は、自分の夢をかなえるフィールドの一つではなかったのか?
だとしたら、何のために今働いている?
「誰のために仕事をするのですか?」
堀口さんに最初に言われた質問を思い出した。
未来に向けて進みたい。
「望みは何か?」
望みがわからない。
私は、リーダーの経験が多かった。リーダーとは皆の望みをかなえる存在であると思うようにして、自分のことはあまり考えなくなっていたのかもしれない。
次のセッションで「自分の望みとは何か?」をテーマにした。
「今後、どんなことをしたいと思っていますか?」
リターンがあること、自分の気持ちのこもったことをしたいと思った。
部下の力を引き出すためや、お客様の要望を聞くために、話を聞くスキルを鍛えてきた。コーチングを行った後輩は、周囲から認められる存在になった。
でも、それだけでは、いつもの自分ではないような感覚になってくる。勢いがあって、挑戦を厭わない俺はどう出して行けばいいのだろうか?
堀口さんも、コーチの仕事をしていて、人のサポートをする仕事だから、自分をどこまで出せばいいのか? 悩んだこともあると言っていた。
自分の判断を言ってしまい、相手を傷つけてしまったこともあったり、今度は遠慮しすぎて、自分の考えをあまり言わなくなったりした時期もあったらしい。でも、今は両方を経て、バランスが整い、余計なものが、そぎ落とされたとのことだった。
やっぱり、同じ感覚をもっている。
そして、フルマラソンに例えて、こんなことを言ってくれた。
「苦手な部分を磨いて、結果も出せたのなら、もとから持っている自分らしさを出していっても、以前の自分よりもバランスよく発揮できると思いますよ。マラソンで言えば、折り返し地点にいて、行きは苦手をブラッシュアップしてきたけど、後半は、自分らしさを出していく感じ。だから、今はちょうどコーンの立っている折り返し地点あたりにいるんですよ。私は給水所で応援しているんで!」
本来の俺は、挑戦を大切にしてきた。あこがれがあったら、自然に努力もできていた。そんな自分を思い出してきた。
ただ、突然、想像力が消えたのだ。想像すると嫌なことが思い出されるから、自分で消してしまったのだろうか?
「想像力が消える? それって戻ることあるんですか?」
寝ると想像力が働く時がある。少しゆっくりした方がいいのかもしれない。
未来を描き、そこへ進むために、「もし、明日奇跡が起こるとしたら?」「今がチャンスだとしたら?」を毎日自分に問いかけた。
だが、どうしても、彼女への怒りが蘇ってきてしまうのだ。明らかにブレーキになっている。
しょうがないので、部屋の掃除をしてみた。
自分の本棚の「人生逆戻りツアー」という本が何となく気になり、読んでみた。買っておきながら、読んでない本だった。
内容は、死んだ後に、自分の人生を振り返り、神様との会話で解釈を変えていくというもの。その中で、最愛の妻から離婚を申し込まれたエピソードがあった
「自分のやりたいことがあるから別れて」と妻が言った。
本音は、妻や娘のために、旦那が自分の夢を犠牲にしていたから、解き放ちたく別れを選んだのだった。旦那が彼のままでいることを妻は望んだのだ。
状況が、過去の恋愛にそっくりだった。
「愛していたのに、自分のやりたいことをするために、別れようと言われた」。
もし、彼女が俺に俺らしくいてほしくて、別れを告げたのなら?
新しい解釈が、記憶を変えていく。思い出が甦る。
「そんなの、先輩らしくない!」サークルの後輩が、自分を殺して、守りに入った時に言ってくれた。
「先輩がTVに映っているのを子供と一緒に見るのが夢なんです。この人は昔はこうだったけれど、今はこんなになったんだよ。だからあなたにもできると子供に言いたいな」サークルの後輩と夢を語り合ったときに言われた。
「お前に会えたおかげで、俺は変われたんだ、ありがとう」卒業式の日に、親友が涙を流しながら、言ってくれた。
「何を言われても、黙々と練習していたのを見てたよ」「努力は報われることを証明してくれたね 感動して涙がでちゃった」ミュージカルの仲間がくれた手紙。
「自分を見失わないでね」 今はいない祖母が、何かあった時に言い続けてくれた。
忘れていた自分を思い出しつつあった。
心のコメンテーターが、総括に入ろうとしていた。
「結果を出せばそれでいいんでしょ。バカなこと考えていないで、あくせく働きなさい」
「やっぱり安定ですよ。ジェットコースター人生には付き合えませんね」
本当にそうだろうか?
自分自身でいることを許可したなら?
周りの人間が、自分自身でいることを望んでいたのなら?
日々のセルフコーチングが、未来を描かせていた。
しかし、今の職場では幸せなイメージが描けなかった。だが、転職することにGOを出せない自分がいた。
最後のセッションは、転職の方向性であり、心残りを解消することだ。
まず、自分が会社に入ってから掲げていた目的、目標について、どれくらい満足を得られたか、当初立てていた5つの項目について、一つ一つ検証をして行った。そうしたら、自分の満足のいくレベルであることが確認できた。ただ、一つを除いて。
「認められていない状態で、転職したら逃げたと思われるんじゃないか?」
つまり、「よくやったな」と言われたかったんだと気づいた。
しかし、「男のプライド」 そうやすやすと消えるものではない。
堀口さんは言った。「外にでてから評価されることもあるんですよ。マクドナルドからアパレルに転職するときもそうでしたし、独立したら店長に向けての講演を頼まれるようになりましたから。いつでも頑張ってきてよかったなーって、思えますよ」
今の職場では幸せなイメージが描けないのは、心残りがあるからではないか?
本当に転職なのだろうか?
「未来のイメージができない場合は、そこに自分がいないと潜在意識が分かっているのだと思いますよ。転職したほうがいいイメージが広がるなら、転職の方向性でいいのではないですか?」と堀口さんが背中を押してくれた。
少しばかりの心残りはあったが、転職を決意した。未来を切り開くために。
転職エージェントから年収のあがる案件も続々来ていた。そんな中、あるエージェントからの言葉が自分を勇気づけた。
「この業界では御社は有名ですよ」「こんな制度があるなんて、いい会社ですね」実は、俺が会社で作り上げた成果のことだった。
エージェントからの言葉は、過去は克服できたというメッセージとして受け取った。だとしたら、本来の道へ進むべきではないか?
心残りは、負けたくないというつまらないプライドのみ。今まで、競争心だけが私を支えていたことに気づいた。
上司や成果、外側に自分の価値を求めてきた。
「私の投げかけに返事をして。私のしたことを見て。私の気持ちを理解して」と、私の心は叫んでいた。自分が自分の声を一番聞いていなかったのではないか。
俺の心の中の何かが変わり始めた。わだかまりが消えると、見えてくる景色が変わってくる。
生きることを忘れていたことに気付いた。
俺が俺で在ることを止めたとしたら、今までのものは何になる?
これからは、仕事だけじゃなくて、自分、家族、仲間たちと向き合う時間も作っていきたい。未来のイメージが湧いてくる。やることをやって本物になるしかないと思った。挑戦を大事にしたいし、結局自分で勝負するしかないということだ。
俺は、自分という種から少しだけ、芽を出し、根を張った。華を咲かせるには、まだまだ、土も水も光も栄養も空気も必要だ。そのためには、何があるかわからない地表に出なくてはいけない。
それでも、華を開かせるために、まっすぐ伸びていくことを決意した。人生をあっというまに変化させる魔法など、どこにもないのだ。どんな華が咲くのかもわからない。
ただ、人生という栄養を受けて育った「自分自身」という華であることには変わらない。あとは咲き誇り、他の華と受粉し、種を残すことに注力をするだけだ。その覚悟があれば、不満も困難も自分という華を咲かす栄養となってくれる。
俺の好きな言葉がある。「さなぎは殻の中で、もがくからこそ、蝶になり、空を飛べる」。
さなぎが、殻の中でもがいているのを見た少年が、可哀そうだと思い、はさみで殻を切ってあげたそうだ。でてきたのは、未完成の蝶。羽はでききっておらず、胴体は大きい。飛ぶこともできず、地を這って行ったそうだ。蜜を吸うこともできず、死に行くだけだ。
蝶になり、空を飛ぶためには、殻の中でもがくことが必要なのだ。
堀口さんは、俺の殻をはさみで切るようなことはせず、温かく見守っていてくれた。
それは、最初にお願いした、「最後に決めるのは自分」「親友のような存在であってほしい」という約束を果たしてくれたことだと最後に気づいた。
親友であってくれた堀口さんとの出会いが、俺の過去と現在と未来を変えていくだろう。
CAST
「俺」=挑戦を大切にしてきたTamaki
「私」=社会で磨かれてきたTamaki
「心のコメンテーター」=常識的なTamaki
堀口ひとみ
上司
彼女
俺に関わってくれた全ての人
~Special thanks~