Twitter Facebook

僕の中の「のび太」

50 UENO

 「人生はきっかけ次第でどうにでもなれる」と聞いたことがある。

 高校卒業後、やりたいことがなかったので趣味のバンドを5年間続けていた。プロのミュージシャンを目指すほどの情熱はないし、才能もない。
 僕はどこに行けばいいのか? どこに向かえばいいのかわからなかった。早くそのきっかけとやらが欲しい…。

 ある日突然、そのきっかけが来た。

 たまたま見た雑誌の記事に整体のことが書かれていた。整体というのは身体の痛みを治す仕事らしい。そこになぜか“ピン”とくるものがあった。整体の“せ“の字も知らなかったのに…。

 僕は向かうべき道を見つけた。

 僕はすぐに専門学校を探し、資料を取り寄せ、試験科目であった論文を書いた。これだと思ったら突っ走ってしまう性格は案外気に入っている。

 面接の時に「僕は日本一の整体師になります!」と自信満々で言い切った。「ああそうですか~」と面接官は若干苦笑い。

 整体の学校に入学して2ヶ月、周りのみんなよりも早く上達したくて、すぐに現場で働くようになった。僕は周りを蹴り落としてでも1番になりたいタイプだ。

 初めて施術した患者さんを今でも覚えている。緊張し手が震えている僕に、「気持ちよかったよ、頑張ってね」と言ってくれた。
 この時、整体の仕事っていいなと初めて思った。

 2年たった頃、そこそこ整体もできるようになった僕に、オーナーから責任者になってほしいと言われた。僕は人に認めてもらうことが大好きなので嬉しかった。

 頑張ってスタッフをまとめようとしたが、初めてのことなので、どう言えば動いてくれるのかがわからなかった。
 結局あれやってこれやってと指示命令。そのうちスタッフから反感の声が上がった。僕が責任者になってから売上も下がってくるし、スタッフとの仲も悪くなる一方…。
 ストレスで体調を崩し65キロあった体重が53キロまで落ちた。みんなダイエットは難しいというが、こんなにも簡単に体重は落ちるじゃないかと思った。

 そんな状況を変えてくれたのがコーチングだった。やせ細った僕を見たオーナーがコーチングの存在を教えてくれた。当時はまだセッションを受けていなくて、独学で勉強した。
 コーチングは他人に対して変化を与えるだけではなく、身に付けた本人も変わっていけるものだ。コーチングのスキルや気づきによって、周りとの接し方が変化し、少しずつスタッフとの仲が改善していった。

 それから2~3年たち、コーチングのおかげでコミュ二ケーションが上手くなった。スタッフや患者さんとの関係が良くなり、順調にいっていた。

 30歳の手前になった時、子供が生まれた。名前は元汰(げんた)。裸足のゲンが好きだったから。『僕もずいぶん成長したし、子供も生まれた。これを機に独立を考えよう』

 そしてめでたく翌年の2010年6月に独立をした。

 うちの店の売りは効果が高い整体法を使っていることと、コーチングである。独学で勉強していたコーチングを施術に取り入れ「整体コーチング」という新しいブランドを作ろうと考えていた。
 “整体で身体を治して、コーチングで魅力を引き出す” 鬼に金棒、負ける気がしなかった。

 そんな自信満々だった時期に、コーチングを受けてみようかと思った訳は、自分の何かを引き出して欲しいとか、頭を抱える問題があったわけではない。単純にプロコーチとはどんなものなのかという興味だった。

 実際調べてみると、たくさんコーチがいた。その中でも一際目立っていたのが堀口さんだった。
『おっかわいいじゃん! この人にしよう』そんなノリで決めてしまった。(笑)

 オリエンテーションの日、心臓の鼓動を感じながら堀口さんに電話した。
 第一印象は今でも覚えている。“気が強そうだ“。僕は昔から気が強い女性が苦手だった。少し居心地の悪さを感じたが、そこはさすがコミュ二ケーションのプロだ、すぐに心地よくなった。

 どんなことを話したか覚えてないが、いつまで経っても聞かれない目標を自ら話していたことは覚えている。
 「40歳までには1億円を稼ぐ」とか「No1コーチになる」とか「この世から腰痛をなくす」など恥ずかしげもなく言った。
きっと堀口さんは“なんだこの人”と思ったに違いない。

 一年後にこの時のことを堀口さんに聞いてみた。
すると「まぁとりあえず話させておくか」と思ったらしい。(笑)

 初めてのコーチングセッションは開業して1ヶ月目だった。初月の売上はまずまず、この調子ならすぐに軌道に乗せられると手応えを感じていた。

 最初の3ヶ月は集客をテーマに話していった。前の職場では当たり前のように患者さんが来ていたし、腕があれば自然とクチコミが起き、患者さんは来てくれるものと思っていたので、あまり集客について勉強してこなかった。

 とりあえずブログは始めていたので、それについて話が進んだ。ブログをやる目的は? どういう内容にしていくのか?誰に見てもらいたいのか? 何を伝えたいのか? …。曖昧だった部分がはっきりしていく。なんとなく始めてみたブログに、ちゃんと目的を持つことができた。

 さらに集客を増やすために駅前でビラ配りしたらどう?と言われた。
 僕はこのビラ配りが大嫌いだった。自分の価値を下げる気がしたし、ビラを貰ってくれないとへこむからだ。

「いや~、ビラ配り嫌いなんですよ」
「じゃあ友達とか誰かに頼んでやってもらったらどうですか?」
「ええ~誰かに頼むんですか??」
僕の頭の中に誰かに頼むという考えはなかったので、サラッと言った堀口さんに驚いた。
 誰かに頼むということは、自分はできないと言ってるようなもの。そんなこと口が裂けても言えない。

 そういえば僕は小さい頃、すぐにドラえもんに泣きつくのび太が嫌いだった。
だから、以前の職場でうまくいかなかった時も、自力で乗り越えてきたし、強がって見せてきた。今の店の開業準備も一人でやった。
 しかし、堀口さんは「自分に出来ないことは、出来る人に頼めばいいものができるし、周りに助けてもらうことは必要ですよ。人にモノを頼むことは、情けないことではありません。頼まれた方は案外嬉しいしものだし、その人の成長のきっかけになリますよ」と教えてくれた。

『なるほど! 頼まれた方は成長するのか』

 それからはWEBに詳しい人がいたらHPの修正を頼んだり、ライターの人に文章の書き方を教えてもらったり、店の青色申告を義父に頼んだりと少しづつ周りの人に協力してもらうようになった。

『人に助けてもらうということはなんて楽なんだろう』

 2010年10月 開業して4ヶ月たった。初月のことを考えれば、順調にいけると思っていた。しかし、現実は逆だった。売上は初月よりも落ちている。新患は少ないし、リピーターも少ない、キャンセルが多い…。

『なんでだ! 腕もあるし、コーチングも受けてるし、ブログも毎日書いているのに…』
焦りと不安と自己嫌悪が押し寄せる。とくにキャンセルが、こたえた。整体師は自分がブランドだから、自己否定に直結するのだ。

 初めて堀口さんにのび太のように泣きついた。

 それまでは、見栄があり、弱さを隠しながらコーチングを受けていたけれど、この時初めて自分の弱さを、さらけ出した。
 その時、恥ずかしさを感じるよりも、何か心の壁みたいなものがなくなった気がした。

 子供の頃を思い出した。わがままをいったり、悔しくて泣いたり、こんなの出来ないと嘆いたり、昔は自分の弱さを隠そうとしたりしなかった。
 大人になると心にプロテクターみたいなものが、かかる気がする。これでは本当の気持ちはわからないだろう。

 
 堀口さんは僕の泣き言を全部受けとめ、励まし、ねぎらってくれた。
『よしよし』って感じで。(笑)

 2010年12月 店の状況は相変わらずだった。本格的に心は病み始め、夜も眠れなくなり、朝が起きれなくなった。
 妻いわくこの頃の僕はまったく笑わなかったらしい。妻もかなり心配だったろう。

 寒い店でぽつんと一人でいるのは、かなりさみしいものだ。『これはさすがにまずいぞ。心療内科にでも行ったほうがいいかな…』腰が痛くて整体に行くことは簡単だが、心が病んで心療内科に行くのはさすがに抵抗があった。

 『しかし、背に腹はかえられない。思い切って行ってよう』

 心療内科の待合室には、たくさんの患者さんがいた。ネガティブオーラの空間。自分もそのオーラを放っている一人だ。
 先生に一通り状況を伝えると「上野さんは一人でお店を経営されてるんですね。お若いのにすごいですよ! でも大変ですよね、僕も一年前にこの病院を作ったからつらさはわかりますよ」この言葉は心の重さを軽くさせてくれた。

 しばらく処方された薬を飲んだら、意味も無く気分が落ち込むことが減り、建設的な考えができるようになった。

 堀口さんに心療内科に行ってきたことを伝えると、「そうですか」と受け止めてくれた。

 正直堀口さんに心療内科に行ったことは言わずにいようと思っていた。『情けない姿を知られたくない…ん! ということは僕は心療内科に通っている人たちを情けないことと思っていることになる』
 整体に来られる患者さんのなかにも、心療内科に通っている方たちも多くいる。今までその患者さんに対して情けないと一度も思ったことがない。ということは心が病むことは、情けないことではないのだと気づいた。

 僕の言葉を受け止めたあと、堀口さんが「患者さんにサプライズしましょう!」と提案してきた。

『サプライズっすか!?』

「目標よりは少ないけど、今現在来てくださってる患者さんはいるのですから、その方たちを喜ばすんですよ」
 
 売上ばかりにフォーカスするのではなく、患者さんにどうしたら喜んでもらえるのかにフォーカスさせてくれた。
 今までは施術以外で患者さんを喜ばすなんて考えたこともなかった。堀口さんも以前クライアントさんに喜んでもらうために手作りで何かをあげたらしい。

 しかし実際何をしたらいいかわからないまま、仕事場から自宅に帰宅。するとタイムリーに妻がアロマキャンドルの作り方を見ていた。
『アロマキャンドルかぁ~、いいかも!』ということで、アロマキャンドルに決定。
 材料を集め、いざ作ってみた。これが思った以上に楽しかった。そういえば小学生のとき図工の授業が好きだったのを思い出した。

 『これを貰った患者さんはなんて言うのかな~』僕はニヤニヤしていた。
 出来上がったアロマキャンドルをドキドキしながら患者さんにプレゼントした。「え~、先生が作ったの?」とみんな驚き喜んでくれた。

『よし!サプライズ成功!』

 開業してからずっと売上を上げることばかり考えていた。生活していくためにはお金を稼がなければいけないからしょうがない。しかし、根本の部分の「患者さんに喜んでもらう」という気持ちが薄れていたことに気づいた。

 さらにそれを加速させたのが「上野さん、今何がやりたいですか?」という質問だった。売り上げが下がり、テンションが低い月のセッションのことだった。
 患者さんに飢えていた僕は「治療です」と答えた。

 しかし、あとから考えてみると、またバンドをやりたいと思った。すぐに昔のメンバーに連絡をしてみた。しかし、社会人になった人間はなかなか集まることが難しく、断念。
 何かないかと探してみると、昔少しだけやったことがあるアコースティックギターがあったことを思い出した。

 ギターを店に持っていった。正直、仕事の空間に趣味のものを置くことに若干抵抗があった。医院としての雰囲気を壊すのではないかと。しかし、患者さんの趣味については、よく聞くくせに自分の趣味のことは話さなかったので、自己開示をしていく必要もあると考えた。

 それが思った以上に患者さんとのコミュニケーションツールになったり、親近感を持ってもらえるきっかけにもなった。
 患者さんからリクエストをしてもらったが、まだ人に聴かせられるレベルではなかった。『練習して患者さんにも聴かせてあげよう』
 それから時間があれば事務作業をそっちのけで練習しまくった。

 これがすごく良かったのだ。
ギターを弾くことで気分が盛り上がるし、余計なことを考えなくなった。

 2011年に入ってからは、少しずつ状況が良くなっていった。新規の患者さんは増えてきたし、リピートしてくれる人も増えた。とくに嬉しかったのはクチコミの患者さんが増えてきたことだ。
 クチコミできた患者さんに「どうして来たいと思ってもらえたんですか?」と聞いてみると、「○○さんがここの整体の先生はおもしろいし、ギターで歌ってくれるよ」というものだった。
『えっ! そこっすか!?』 

 整体院が流行る要素は技術だけでは足らない。人柄であったり、対応であったり、お店の雰囲気であったりと様々な要素がある。その中でもクチコミというのは、腕のことよりも“おもしろい”とか“楽しい”などを、人に言いたくなるのかもしれない。
 クチコミが増えてきたのは『患者さんを喜ばす』という意識だったから流れを引き寄せたんだと思う。

 この時期から今まで常識に、とらわれていた視点が変わってきた。仕事用ブログのためプライベートなことは、あまり載せたくなかったが、ライブでギターを引いている動画を載せてみた。
 他には、いろんな人と交流を持つため様々な場に出ていくようになっていった。これらは今までの僕の常識にはなかったことだ。

1、2月と安定した気持ちで仕事を出来ていた矢先、3月あの出来事が起きた。3.11の大地震である。
 あの時、店には患者さんはいなく事務作業をしていた。突然の激しい揺れ、そういうのにまったく動じない僕でもさすがに焦った。
 その日の予約は全部キャンセルになった。電車が動かないのだからしょうがない。

 夜、自宅に帰ってテレビをつけると、福島が地震と津波でえらいことになっていた。店にいたときはそんな状況になっていたとは思いもしなかった。

 『僕は心配になった。こんな状況でも患者さんは来てくれるのだろうか?』被災地のことよりも自分の店のことを心配した自分が小さいと感じた。

 しかし、逆に患者さんは増えた。理由は余震による緊張がストレスになって肩が凝ったり、頭痛が起きるからだ。患者さんが増えたことは嬉しいが、被害に遭った人たちのことを考えるとそう喜べない。

 『僕が出来ることは患者さんをリラックスさせ癒すことだ。これに集中しよう』。
4月は過去最高の売上となった。

 嬉しくて、ちょっと興奮しながら、堀口さんに連絡する。
「堀口さん、今月が過去一番よかったですよ」
「おお~! よかったですね♫」
喜んでもらえる存在がいることは本当に幸せだ。堀口さんは自分のことのように喜んでくれる。

 僕も患者さんが嬉しいことがあったとき、自分のことのように喜んであげたいと思った。

 
 それ以降、赤字がなくなり、順調に行っている。しかし、今月は良かったけど、来月も良いという保証はどこにもない。明確なものは、どこにもないのだ。
 
 唯一あるとすれば自分の内側に築く、意識。殴られても、打ちのめされても負けない意識。この意識を身に付けたいと思った。
 コーチングのおかげで少しずつ身についてはいると思うが。その証拠に、もう心療内科からもらった薬も必要ないし、夜もぐっすり眠れる。精神的にもブレることがなくなった。

 個人でビジネスをするということは、こういったリスクはしょうがないし、どうしても数字に依存する。数字が出ている時のモチベーションが高いのは当たり前だが、悪いときにいかにモチベーション維持していくかが大切だ。

 数字がすごく悪かった月に気づいたことがあった。2人ほどやりにくいと感じていた患者さんがいた。会話もかみ合わないし、教えたエクササイズはやらないし、僕の話はほとんど否定されてしまう。すごく神経使うので施術後はどっと疲れる。
 しかし、この月は正直助けられた。この方たちが居なければさらにひどかったから。
 それからはこの方たちを、まったくやりにくいと感じなくなった。むしろ感謝の気持ちで溢れかえった。

 『売上が悪いときは数字を見るのではなく、今月来てくれた人たちに感謝をしよう。そしてさらに喜んでもらえるにはどうしたらいいかを考えよう』。

 今思い返してみると、開業してからずっと早く軌道に乗せたくて焦っていた。

 先日ある知人がこう言っていた。『人生の良い花を咲かせるには、土台を作り、耕し、肥料を撒いて、地道に咲いていくもの。早く花を咲かせようと近道を探しても良い花は咲かないし、すぐに枯れてしまうだろう』

 僕は早く花を咲かせたかった。

 しかし、なかなか咲かないもんだから、落ち込み、焦り、自己嫌悪になっていた。
そういった焦りや不安は余裕をなくすし、それが患者さんにも伝わっていたんじゃないかと思う。患者さんは余裕の部分に安心感や信頼感を持つということを忘れていた。

 結局、開業2年目たった今でも、売上月100万という目標には届いていない。

 しかし、コーチングを受け始めてから1年という道のり中で僕は様々なことを学んだ。
『患者さんを喜ばす』『自分も楽しむ』という基本を思い出させてくれた。
 そして自分の弱さを知り、それを受け入れることができるようになった。それは、弱っている人を診る整体の仕事をしている人間として非常に大切なことだ。

 誰しも弱い部分はある。コーチングを受ける前の僕は、それを隠したり、虚勢を張っていた。人を頼らず自分で何もかも抱えてしまう、アドバイスや手を差し伸べてくれる人もいたが、自ら振り払っていたのだ。
 
 自分の弱さと向き合うことが成長には一番大事かもしれない。

 昔から一番になりたいと思っていた。自分が強いと誇示させたかったからだろうか。以前は弱音ばかり言うのび太が嫌いだったが、今の僕なら彼を受け止められるし、認めてあげられるだろう。
 そしてそういった弱っている人を支え、サポートしていくことが僕の使命だ。

 こういった気持ちに慣れたのは、売上目標を達成することよりもずっと価値があるんじゃないかって思う。むしろ目標をすぐに達成できなくてよかったとも思う。達成できなくもがき苦しんだ分、経験値になっている。『苦労は買ってでもしろ』とはよく言ったものだ。

 そんな状況を支えてくれた妻には大変感謝をしている。これからもまだまだ大変なことが待っていると思うが、今の僕ならきっと乗り越えられるだろう。
 僕には妻や堀口さん、師匠、友人、両親など支えてくれる人たちがたくさんいるから。

 2012年は良い花を咲かせるための、あえて土台づくりの年にしたいと思っている。
 自然と花が咲くならいいが、焦って花を咲かせようとする必要はない。

 『世界に一つだけの花、一人ひとり違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい。小さい花や大きな花ひとつとして同じものはないから、No1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one』

ええ歌詞や~(-^〇^-)